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墨田区(5)

   
 討ち入り当日の義士の集会場所です。
 本所徳右衛門町一丁目の大屋長十郎店です。
 討ち入りした赤穂浪士は次の通りです。
店借主 杉野十平次 仮名 杉野九一右衛門
同居人 武林唯七  仮名 渡辺七郎右衛門
同居人 勝田新左衛門 仮名 嘉右衛門
 現在、場所の特定はが困難ですが、東京都下水道局の建物がある辺りとされています。
 吉良上野介の娘の嫁入り先である津軽藩の屋敷跡です。
 弘前津軽家の分家で黒石と浅虫(青森県)を拝領
していた。
 貞享4(1687)年、吉良上野介の次女・阿具利が上杉綱憲の養女として津軽采女と結婚しました。
 討入り当夜、吉良邸の近くにありながら、助勢には向かいませんでした。
 現在の下水道局の道を挟んだ南側の地です。
杉野十平次道場跡 津軽采女屋敷跡
墨田区立川3−17 墨田区立川4−9
 
 
 本所にあった「時の鐘」の屋敷跡です。
 最初は日光霊廟建築の木材調整作業のとき、時刻を知らせる必要で設置されました。
 元禄2(1689九)年、少し南の位置に移し、復興されました。160坪の敷地がありました。
 討入りを寅の上刻、引揚げを明け六ツと記録しています。
 現在のライオンズマンションの所です。
 赤穂浅野家の下屋敷跡です。
 赤穂浅野家は、赤坂屋敷を3000坪を拝領していました。
 元禄10(1697)年、1000坪余を残し替地として本所屋敷3900坪を拝領しました。倉庫や畑に使用していました。
 刃傷事件後、浅野家の家財道具は一時この屋敷に運び込まれました。
 現在の都立両国高校の敷地です。
本所時鐘屋敷跡 旧浅野家本所屋敷跡
墨田区緑4−10 墨田区江東橋1−7
テキストのみは、写真を入手しておりません。ご協力をお願いします。
全国どこへども行く予定です。
その他、忠臣蔵関係の情報があれば教えてください。
連絡はまでお願いします。

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