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「元禄忠臣蔵」の著者真山青果の墓がある。 |
このお寺の住職は、内藤家の親類が務めていました。
鳥羽の内藤忠政の娘・波知は、赤穂の浅野長友に嫁ぎ、内匠頭の母となりました。浅野内匠頭の母・波知は、寛文12(1672)年に亡くなり、このお寺に葬られました。戒名は戒珠院理菴栄如大姉といいます。
内藤忠政 |
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忠次 |
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忠勝 |
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忠知 |
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波知 |
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内匠頭長矩 |
浅野長直 |
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長友 |
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長広 |
現在の小石川福祉作業所の建物の辺りです。 |
日輪寺 |
無量院跡 |
文京区小日向1−4−18 |
文京区小石川3ー36辺り |
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吉良家の隣家・土屋主税家の菩提寺でした。
明治時代、土屋家がプロテスタントに改宗したため、墓石は廃石されたといいます。 |
幕府奥右筆・向山源太夫誠斎の墓があります。
向山誠斎は、弘化四年の丁未(1847)年「丁未雑記」を清書して、「梶川氏筆記」を出しました。
本堂より左側突き当たりに三基の墓石があります。 |
大林寺 |
栄松院 |
文京区向丘2−27−11 |
文京区向丘2−35−7 |
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「烈士報讐録」の著者・三宅観瀾と老中・小笠原佐渡守長重の墓があります。
三宅観潤は、近江の大石荘に忠義碑の碑文を撰してもいます。しかし、その碑文は現存しません。
小笠原佐渡守長重(岩槻城主5万石)は、刃傷事件や討ち入り事件、赤穂浪士の処分などを老中として関わってきました。 |
大石内蔵助の祖母系先祖鳥居家、堀部安兵衛の父の仕官先・新発田溝口家、吉良義周の流罪先・信濃諏訪家、町奉行の松前家などの墓があります。
それ以外に、二宮尊徳、榎本武揚、江戸町奉行・鳥居耀蔵などの墓もあります。 |
龍光寺(金毘羅寺) |
吉祥寺 |
文京区本駒込1丁目5-22 |
文京区本駒込3−19-17 |
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