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相生市:若狭野陣屋跡

法界庵(若狭野陣屋の「札座跡」)
若狭野陣屋跡
竹やぶの中の石垣(若狭野陣屋跡)
浅野長政 幸長 (浅野広島本家)
長重 長直 長友 長矩 長広 長純 長延
(養子)
━━ 長広
大石頼母助良重
||━ 長 恒
(養子)
浅 野 長 恒 長豊 長寿 長致
浅 野 長 賢 長武 長時 長充
(養子)
三河吉田・松平清昌 長賢

↑↓ (養子) (養子)
 寛文11(1671)年、赤穂藩主浅野長直の孫、浅野長恒が分家したことにはじまり、長恒は江戸幕府直参の旗本となり、若狭野に陣屋を構え、若狭野12ヶ村43000石の知行がみとめられました。これが若狭野陣屋の始まりです。
 陣屋は3000石の旗本宅としては豪壮で、1600平方メートルの敷地内に本宅(6室)、内庭のほか、門・倉庫・馬屋・武器庫などがありました。
 現在、札座(藩札をつくったところ)の建物であった法界庵と、那波野西法寺に移築された陣屋門が残っています(『若狭野陣屋跡案内板』)。
 若狭野陣屋の札座(法界庵)が文政5(1822)年に発効した藩札のあります。
 元禄14(1701)年、刃傷事件で赤穂浅野本家が断絶した後も、分家の浅野長恒家は幕末まで継続しています。
若狭野陣屋跡
相生市若狭野町若狭野
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