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山口市(1)

 
私たちが宿泊した松田屋ホテル旧館の二階右側の部屋松菊(木戸孝允の号)の間
 忠臣蔵の史跡を巡って、17年になります。
 今回は、吉良邸討入り後の赤穂浪士を預かった毛利長府藩の国元下関に行きました。
 蚊に刺されながら、傘を差しながら、撮影の助手をする妻の希望も入れて、忠臣蔵史跡の近くの温泉に泊まることの予定です。決める条件は単純で、妻が行きたい観光地の近くの温泉地で、料理が美味しい旅館です。旅行業者は、「美味しい料理は一流の板前が居るところで、高いですよ」と釘を差されます。
 年に数回の取材旅行が最大の贅沢です。
 妻の希望は、雪舟作庭の常栄寺と雪舟が住んだ雲谷庵、そこから雪舟が眺めたという瑠璃光寺の五重塔です。旅行業者から案内されたのが、温泉地は山口市湯田温泉で、料理の美味しい旅館は松田屋ホテルでした。
 出迎え、見送り、その他の対応は、客の心を知り尽くしており、私たちの気持ちを先々と察しており、旅の疲れを癒し、豊かな気持ちに浸ることができました。
 料理も一品一品、一番美味しい状況で出されるので、味わって食べることができました。これを至福の喜びと言うのでしょう。
 「本当に、有り難うございました!!」

松田屋ホテル玄関右側にあった「高杉晋作憂国の楓」(の部分)
「高杉晋作憂国の楓」
 騎兵隊の隊長・高杉晋作は、日夜松田屋を倒幕攘夷の密議画策の舞台として出入りし、当時1863年(文久3年)松田屋玄関横にあった楓の大樹の幹に自分の所感を文字に刻み込んでおいた。
 文字は「盡国家之秋在焉」(国家ニ盡スノトキナリ)(松田屋ホテルの案内版より)
 いやー、忠臣蔵の討ち入りの日に合わせて挙兵した高杉晋作の泊まった宿であり、直筆の決意表明をこの目で確認できました。とても心の高鳴りを抑えるのに時間がかかりました。
 さらに、司馬汨セ郎氏の『竜馬が行く』には、「龍馬は、山口湯田の旅館(松田屋)ではじめて長州藩の大立者高杉晋作と会っている」とあります。
 「素晴らしい出会いを有り難うございました!!」

西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通会見所
 勤皇の大義と倒幕の目的のために、同志である土佐藩の坂本竜馬がこれを憂い、再三長州山口へ来て松田屋に停泊し、奔走仲介して、ついにh長両藩の連合成立の手がかりをつけた(その後、枕流亭で同盟が成立する)。
 h摩志士らは、天皇の討幕の密勅を待つため、長藩志士なじみの松田屋へも、無聊を慰めるとともに清遊にこいとよせて来駕した(松田屋の案内板)
 司馬汨セ郎氏の『街道を行く 長州路 湯田』には、次のような記述があります。
 「やはり風呂が一番ですなぁ」
 とTさんはこの松田屋の湯のなかで顔の筋肉をゆるめながら、不意に気づいたように、
 「これは温泉ですか」
 と、叫んだ。
 われわれが浸っている湯は、温泉であった。われわれがいま山口市の有名な温泉地である湯田の宿に泊まっている以上、この湯は温泉にちがいない。
 「なるほど、温泉ですか」
 と、Tさんは、この浴室における大発見にすっかり感動してしまい、ふたたび肩が凝りはじめたようであった。
 豊かなもてなしを受け、美味しい料理を食べ、激動歴史を感じた、素晴らしい旅行でした。
 「楽しい楽しい旅行さん、有り難う!!」
 新しい出会いを求めて、私たちの旅行は続きます。

松田屋ホテル
山口市湯田温泉3−6−7

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