ごあいさつ |
私は赤穂に生まれ、赤穂に育ち、赤穂で定年を迎えました。 高校生(無意識には小学生)の頃から忠臣蔵に関心をもち、史料・資料などを集めは じめました。 1996年からファイル形式が異なるテキストとイメージを同様に扱えるホームページソ フトで史料と史跡をデジタル保存していきました。 パソコン上で忠臣蔵史・資料が扱える時代になりました。私なりに300年以上も日本 人の心を魅了してきた背景を探ってきました。ここでは先輩諸氏の書物を通じて忠臣 蔵がどう描かれているのか。私自身との関わりを通じて紹介していきます。 |
第一回は赤穂市発行の『忠臣蔵第三巻』(史料編) |
穂市内にある。出される物は見慣れた、食べなれた食材であった。だが、口に入れた 途端、「飽食気味で、今は何を食べても同じだな」と思っていた舌が、板前さんの技に 感服してしまった。しかし、その板前さんは「素材のよさだな」とこともなげに言う。「素材 のもつよさをそのまま素直に引き出すだけだ」と付け加える。 実は私も忠臣蔵の素晴らしさは「史料のすごさ」と考えている。その「すごさ」を時代を 越えて忠実に表現できたらと思っている。 それ以降私は妻と年に何回かその店にいっては、にぶりかけた素材の表現力をよみ がえらせている。 |
安兵衛の書状14通、大石内蔵助の書状18通など所収 時の一級史料が膨大に残されているからである。特に安兵衛の筆記は圧巻である。 安兵衛は有名な剣客である。また過激なディベートの達人である。しかし、他の一面 は大変な策士家でもある。着信した手紙は保存できるが、送信した手紙をも保存してい る。コピーのない時代に何を目的にしたのだろうか。内蔵助と離れてでも上野介を討つ と決意した時に、この筆記を細井広沢(時の実力者柳沢吉保に仕えた儒学者)に預け ている。この筆記に『ハムレット』(シェークスピア)のホレーショ役を負わせている。 討ち入り後、世間の風評に配慮した証人役を果たさせている。そのお陰で討ち入りま での経過が分る貴重な史料である。内蔵助と共に懐の深い、魅力ある人物である。 吉右衛門の筆記も討ち入り後、討ち入り義士の唯一の生き残りの証人であるだけに その前後の状況を知る一級史料である。 その他内蔵助の書状18通なども紹介されている。是非一読をすすめたい。 野口武彦氏が『赤穂義人編書』、『赤穂義士史料』、そしてこの『忠臣蔵』の三セットに ついて「事件関係の記録類は完全に網羅されており、たとえ同一文献があっても校訂し 直されていて、この三部には原則として重複がない」と紹介している(ちくま新書『忠臣 蔵−赤穂事件・史実の肉声−』)。『纂書』『史料』に続いて、『忠臣蔵』は重複しないよう に配慮し、所蔵者との関係においても多大の注意を払われて編集されたことを思うと、こ の素材は粗末にすることは出来ないと感じます。 |
デジタル時代の史料の利用 |
私は全ての史料・資料、史跡をデジタル・ホームページ化して利用しております。著作 権の関係もあり、ここでは『忠臣蔵第三巻』の目次のみを紹介します。 |