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ごあいさつ

第二回は大石神社発行の『実証義士銘々伝』

ここをクリックして下さい→『義士木像』
 
オームページ作成に欠かせぬ大石神社の存在

 私が忠臣蔵のオームページの作成を思い立ってすぐに実行したのは大石神社を訪れ
たことです。何度見ても思いを新たにするのは、一流の彫刻家による義士の木像です。
直接撮影することなど許されようとは夢にも思わず、『実証義士銘々伝』のなかの義士木
像写真の使用を許可してもらうことでした。今から8年前のことでした。その時のことはまる
で昨日のことのように鮮明に記憶に焼きついて降ります。
 電話で前もって申し込んでいたとはいえ、超多忙な飯尾精宮司(現名誉宮司)と対面
したのは応接間でした。忠臣蔵、いや忠臣蔵のオームページ作成という縁がなければ
一生この場でこの宮司さんと会うことも叶わなかっただろうにと思うと、さながら時の経過
を考えさせられました。また、色々と話を聞かせて頂きました。
 宮司さんの寛大な理解にとても感激すると同時に、神社本・拝殿の周囲に掛けてある
義士の絵馬物語の絵がとても心を癒す暖かい表現だったので、絵馬の元の写真の撮影
をあつかましくも依頼しておりました。私のホームページに絵馬忠臣蔵として掲載されて
いるのはもちろん、英語版として外国人にも親しまれています。 
 
大石神社は今から90年前(1912年=大正元年)に創建
義士木像は浅野内匠頭・萱野三平を入れ49体
 大石神社へは赤穂城の隅櫓を仰ぎ、大手門をくぐり、元禄時代の遺構大石邸長屋門
の右手に見て、山門をくぐる。本殿へ進む途中に、大石内蔵助や主税らが住んでいた
屋敷跡がある。搦め手の塩屋門から入ると、大野九郎兵衛屋敷跡があり、そこを東に進
むと大鳥居が目に入る。
 大石神社は大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷を中心に建てられているが、赤穂城を
巧みに取り入れていることが、以上のことからよく分る。
 義士木像は奉安殿に安置されている。義士切腹250年を記念して1953(昭和28)年
に設立された。戦後の自由な気風の溢れる時代に、当時の一流の彫刻家が一人一作
主義で制作しているので、その作者の義士に対する思いがひしひしと伝わってくる。見
た者の主観的な理解も楽しいが、作者の制作意図が解説されているのもうれしい。
 是非一読して、現地に足を運ばれることをおすすめしたい。

飯尾精氏の著作集紹介←ここをクリックして下さい

 赤穂市の観光の象徴となっている大石神社を語るのに、飯尾精名誉宮司を措いて語
ることは出来ない。私のホームページは赤穂市発行の史料集と大石神社の協力がなけ
れば誕生し得なかった。そこで氏の著作と大石神社発行の書を紹介して、感謝の気持
ちを表したい。

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