第一章 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【001回】浅野家のルーツを探る(1)豊臣秀吉と浅野長政は義兄弟 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小6の孫娘と友だち2人がやってくる | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
先日、私の家に、小学校6年生の孫娘が2人の友だちを連れてやって来ました。孫娘の名前は湖南あこなといいます。 友だちの1人は、大野蛍子さんといいます。 もう1人は、木村葉月さんといいます。 3人は中学生になったら、自分たちのホームページを持ちたいという夢を持っていました。 しかし、何をアップするかは、決まっておらず、悩んでいました。 と そういう時、大野蛍子さんのお父さんが「実は蛍子の先祖は忠臣蔵に出てくる大野九郎兵衛なんだ」とあかしました。 蛍子さんは「その人はどんなひと?」と聞きました。 蛍子さんのお父さんは「ほとんどの忠臣蔵の本やTVや映画は先祖のことを悪く描いているが」 蛍子さんは「そんな先祖はいやや」 蛍子さんのお父さんは「蛍子がそう思うのももっともやが、『忠臣蔵新聞』だけは史実に基づいて描いている」 さらに「歴史は事実の積み重ねが大切なんだ。そういう点でも『忠臣蔵新聞』を読解して、お友達にもうまく伝えられたら、素晴らしいと思うよ」 蛍子さんが「『忠臣蔵新聞』を書いた人は、どんな人?」と問うと、 お父さんは「あこなちゃんのお爺さんだよ。名前は確か湖南土井瑠というはずや」と教えました。 この会話を通じて、蛍子さんは、自分が大野九郎兵衛さんの子孫ということが分かりました。 蛍子さんは、自分の先祖の本当のことが知りたくて、友だちで歴史が好きな木村葉月さんを誘って、孫娘のあこなに頼みました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『忠臣蔵新聞』にそって 孫娘や友だちにわかるように | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日頃、孫娘は我が家に来ても、書斎の私に目を見て「こんにちわ」とか「帰るで」という挨拶しかしません。 目を見て挨拶するというのは、幼稚園の頃から、躾をしていたので、それが習慣になっています。 電話で、あこなは「お婆ちゃんは?」 私は「今、出かけている」 すると、あこなは「ほんなら、ええわ」と言って電話を切る それが私と孫娘との関係です。 妻がいて、私と孫娘との会話がなりたっているのです。 そんな私に、若い娘たちの訪問です。さすが、妻は心得ています。娘たちが好みそうな飲み物やお菓子を持ってきては、うまく話を引き出しています。 蛍子さんは「本当は、私の先祖の大野九郎兵衛という人がどんな人か知りたいんですが・・」 少し間をおいて、「”父が史料中心の『忠臣蔵新聞』が分かるように、じっくり、話を聞かせてもらった方がいい”と言うんです」 私は「それで、あなたの希望は?」 蛍子さんは「『忠臣蔵新聞』にそって、私にも分かるよう、お願いします」 私は「他の2人もそれでいいんですね」 孫娘のあこなと葉月さんは、コクンとうなずきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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浅野家のルーツ 豊臣秀吉と浅野長政は義兄弟 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私は「歴史は、時間の流れを縦糸に、人間関係のさまざまな出来事を横糸にしてみると、本当の姿がよく見えるんだ。少し、難しいが、よく話を聞いていると、その意味が分かると思うよ」と前置きしました。 そこで、まず、具体的に、よく知っている織田信長の話から始めることにしました。 私は「織田信長はよく知っているね」というと、 3人は、目を輝かせて、うなづきました。 私は「系図(1)を見てごらん。長政は、信長の家臣だった浅野長勝の娘ややの婿養子になっていることが分かるね」と説明すると、 歴史の好きな葉月さんは「それで、安井長政から浅野長政に名前が変わったんですね」とパッと反応しました。 私は「そうそう。その後、秀吉がややの妹ねねと結婚するんだよ」 本読みが好きな孫のあこなは「お嫁さん同士が姉妹だとすると、長政と秀吉は義理の兄弟ということですか」と先読みをしました。 私は「その通り、それを義兄弟というんだよ」 さらに、私は「織田信長が本能寺の変で、明智光秀に殺されましたことは知っているね」と聞くと、 3人が一斉に「知っています」と。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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織田信長と柴田勝家 お市とその子淀君(秀吉室)・お江(秀忠室) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊臣秀吉が山崎の戦いで、明智光秀を破ったことは学校では習っていないようでした。そこで、地元姫路の武将黒田官兵衛が秀吉に尽力したことを話しました。 戦国時代に関心がある木村葉月さんが「それで姫路城は秀吉と関係があるんですね」と。 織田信長の妹がお市であることは知っていました。 私は「系図(2)を見てごらん。お市の夫である浅井長政は、信長に滅ぼされたんだよ」というと、 本読みが好きな孫娘のあこなは「兄が妹の夫を殺したということですか。怖い時代だったんやね」 さらに、私は「信長は、第一の家臣である柴田勝家にお市を嫁がせているんだ」 歴史の好きな木村葉月さんは「3人の子供を連れて再婚したと聞いたことがあります。その長女が豊臣秀吉のお嫁さんになるんですね」 私は「そうそう、長女がお茶々で、秀吉の側室の淀君になるんだね。三女のお江は徳川秀忠の側室になっているよ」 孫娘のあこなは「2011年のNHK大河ドラマの主役お江のことやね」 大野蛍子さんは「ということは、信長は死んだが、その血筋は徳川家に残されたんですね」 私は「そういうことになるね。よく気がつきました」 さらに私は「その柴田勝家を賤ケ岳の戦いで破ったのが豊臣秀吉で、百姓からついに天下に上り詰めたことになるね」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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織田信長亡きあと 豊臣秀吉に重んじられる浅野長政 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私「この賤ケ岳の戦いで活躍したのが浅野長政で、赤穂浅野家の先祖になるんだよ」 蛍子「少しずつ、赤穂に近づいてきた感じですね」 あこな「どんな活躍をしたん?」 実の祖父だけにあこなだけは、ややぞんざいな表現をします。 私(土井瑠)「秀吉と長政とは、上の系図からも義兄弟ということは分かるね。秀吉は、勝家との戦いが賤ケ岳になることを予想していて、長政に120石の領地を与え、領民に自分たちの言うことだけを聞くよう説得させているんだ」 蛍子「秀吉も偉いけど、それを実行した長政も立派だったんですね」 土井瑠「秀吉の期待に応えて、賤ケ岳の戦いで勝った長政は、2万300石を与えられ、近江坂本と近江大津の城主になっているよ」 あこな「ふーん。戦争に勝つと、土地がもらえるんだ」 土井瑠「これは、後に話すことになるが、こういうことを封建関係というんだよ」 葉月「関ヶ原の合戦の時、長政は徳川方に味方しています。どうしてですか」 土井瑠「よく知っているね。それは次回にしよう」 3人は、初めてのこともあってか、とても緊張していました。 私も、この程度の話で、どれくらい理解したのか、やや不安でした。 3人は、大きな声で「ありがとうございました。来週もお願いします」と言ったので、その不安も吹っ飛んで、その晩のビールは、いつもと違って格別な味がしました。 |