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孫に伝える小説忠臣蔵

第二章
【010回】刃傷松の廊下(1)浅野内匠頭が吉良上野介に切りつける

刃傷松の廊下の発端
松の廊下での一言「この間の遺恨覚えたるか」
@「殿中にひらめく白匁」(『赤穂義士誠忠畫鑑』)
 12月早々の日曜日に3人の女子中学生がやってきました。
 大野九郎兵衛を先祖に持つ大野蛍子さんが、いきなり聞いてきました。
 「12月14日は赤穂市で最大の祭りの義士祭ですね」
 湖南土井瑠「そうだね。刃傷事件が元禄14年、つまり1701年だから、今から309年前だね」
 木村葉月「赤穂の殿さんが指南役の吉良上野介に切りつけた事件ですね」
 土井瑠「事実はそうなんだが、色々と解釈する人がいるんだよ」
 湖南あこな「どんな話なんですか?」
 土井瑠「@の写真を見てごらん」
 上の写真を見ると、見馴れた写真なのか、3人とも目を輝かしてきました。

 蛍子「切りつけられて逃げようとしているのが、吉良上野介ですね」
 あこな「切りつけているのが赤穂の殿さんの浅野内匠頭ですね」
 蛍子「後ろの壁の絵に松が描かれているので、ここが松の廊下ですね」
 葉月「内匠頭を後ろから抱きとめている人がいますね。誰なんですか?」
 土井瑠「梶川与惣兵衛という人で、御留守居番なんだ。御台所、つまり、将軍の奥さんの世話をする人なんだよ」 
 あこな「そんな人が、どうして、松の廊下にいたんですか」
 土井瑠「御台所の伝言を浅野内匠頭に伝え、吉良上野介に勅使らとの面会時間が早まったことを連絡するために、事件現場にいたんだよ」
 蛍子「この人の証言が有名なんですね?」
 土井瑠「そうそう、浅野内匠頭が吉良上野介に切りつける時、”この間の遺恨覚えたるか”と言ったんだね」
 あこな「どういう意味ですか?」
 土井瑠「”先日受けたひどい恨みを覚えているか”という意味なんだ」
 葉月「ひどい恨みとはどんなんですか」
 土井瑠「これは一度には説明できないので、次回にまわそう」

井沢元彦氏「内匠頭は背後から切り付けた卑怯者」
竹内誠氏「声かけ切り付けたるは武士の習い」
 大野蛍子「父から聞いたんですが、刃傷についても色々説があるんですか」
 湖南土井瑠「一番極端な説は、井沢元彦氏という小説家だね」
 木村葉月「どんなんですか」
 土井瑠「井沢氏は、梶川与惣兵衛の史料を引用して、”吉良殿の後より、切りつけました。吉良殿が後の方へふり向いた所、再び切りつけられました。吉良殿が逃げようとした所、二太刀ほど切られました”と言って、浅野内匠頭を卑怯でドジな男と表現しているんだよ」

 湖南あこな「ひどいわね。本当だったんですか?」
 土井瑠「梶川与惣兵衛の史料がそのままだったら、そう解釈できるね。しかし、井沢氏の紹介した史料の前半部分に、重要な記述があるんだよ」
 葉月「えーっ、そんなことあるんですか」
 土井瑠「あるんだね、それが。実は‥‥」
 3人「早く知りたい、知りたいです」
 土井瑠「井沢氏が省略した部分には、”誰か知らないが、吉良殿の後より『此間の遺恨覚たるか』と声を懸け、切りつけたというんだ」
 蛍子「それでも、やっぱり、吉良上野介の背後から切りつけたんだから、井沢さんが言うように卑怯者と映ります、残念ながら」
 土井瑠「うーん、なるほど。今の感覚で言うとそうなるね。しかし、江戸時代の武士道という視点で見ると、少し違ううんだね」
 あこな「井沢さんが省略した”先日受けたひどい恨みを覚えているか”と声を懸けた事に意味があるんですか」
 土井瑠「江戸東京博物館館長の竹内誠氏は、”当時、仇討ちをする際は、大声をあげて『覚えたるか』といいながら斬りかかるのが作法でした”と言っているんだよ」
 3人「すると、浅野内匠頭は卑怯でも何でもないんですね。よかった!!」
 あこな「有名な人が言ったとか、書いているとかを簡単に信じてはいけないんですね」
 土井瑠「そうだね。忠臣蔵を単純に美化したり、逆に悪意に満ちた考えを持った人もいるんだよ。だから、どういう立場の人かを理解することも大切なことなんだよ」
 3人は、深くうなづいていました。

吉良上野介の治療をした栗崎道有の診断書
最初は正面から、次は逃げる上野介の背中を
井沢氏の卑怯者説に反論
吉良上野介を治療する栗崎道有(挿絵:寺田幸さん
 湖南土井瑠「井沢氏は、浅野内匠頭は吉良上野介を後ろから切りつけたので、卑怯者と批判したいます」
 湖南あこな「声をかければ問題ないとは言うけれど、やはりしっくししませんね」
 土井瑠「吉良上野介の傷を治療した外科のお医者さんで、栗崎道有という人がいるんだ」
 蛍子「父から聞いたことがあります」
 土井瑠「外科医の栗崎は、”浅野内匠頭は、吉良上野介を見つけて、小さ刀を抜いて眉間に切り付けた。烏帽子の縁までで切り止まっていた。その時、上野介は横むきになる所を、二の太刀で背中を切った”という診断書を書いているんだ」
 葉月「診断書では、内匠頭は、吉良上野介を前から切りつけ、上野介が逃げようとしたので、背中を切られたということですか」
 土井瑠「そうだね」
 3人「浅野さんは卑怯でも何でもないということなんですね。安心しました」

松の廊下地図を検証━中学生3人の考え
(1)背後からでなく正面が正しい
(2)井沢氏の卑怯者説を否定
B江戸城松の廊下(東京都立中央図書館)
(図B)(百楽天さん「白地に黒字」、●●が内匠頭らの所定の場所。作者「赤字」)
 湖南土井瑠「図Bは江戸城松の廊下なんだよ。が勅使接待役の浅野内匠頭と院使接待役の伊達左京亮の位置です」
 木村葉月「この図は何のためなんですか」
 土井瑠「梶川与惣兵衛が浅野内匠頭と挨拶して、その後吉良上野介と会うために、白書院の方に向かうんだよ。そして、白書院から出て来た吉良上野介と出会うんだ」
 湖南あこな「あっそうか、内匠頭と上野介に間に与惣兵衛がいるという立ち位置なんですね」
 土井瑠「そうなんだ」
 大野蛍子「なるほど。この地図の意味がわかりました!!」
 土井瑠「与惣兵衛は、自分の後ろから”誰かが上野介に切りつけた”と言っている。ということは、この立ち位置からすると、与惣兵衛と話している上野介を与惣兵衛の背後から切りつけたということは、吉良の正面から切りつけたことになるね」
 あこな「卑怯にも、上野介の背後から切りつけたということが事実なら、与惣兵衛の側を通って上野介の背後に廻り、切り付けたことになりますね」
 蛍子「そうだとすると、”誰かが上野介に切りつけた”という表現にはなりませんね」
 土井瑠「そうそう」
 葉月「”内匠頭が上野介の背後から切り付けた”ということになりますね」
 土井瑠「3人寄れば文殊の知恵というが、よく分かったね」
 3人「当時の史料を色々調べたり、地図に描いたりして、深く考える大切さが分かりました」

 12月14日には、3人は、友だちにも喜んでもらえるホームページができそうです、とニコニコして帰って行きました。
 忠臣蔵を通じて、若い世代が色々な考え方を学ぶことに協力できて、楽しい正月を迎えられそうです。

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