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孫に伝える小説忠臣蔵

第二章
【011回】刃傷松の廊下(2)喧嘩両成敗を将軍の一存で片落ち裁定

幕府目付の尋問に対しての浅野内匠頭の答弁
(1)「上野介には個人的な恨みがあった」
(2)「前後も忘れて殺そうと切りつけた」
目付御用部屋で浅野内匠頭を尋問する幕府役人(挿絵:寺田幸さん
 正月も3日過ぎ、4日目に3人の女子中学生がやってきました。お年玉がたくさん入ったのか、上機嫌でした。
 湖南土井瑠「今回は、前回の続きだね。”この間の遺恨、覚えたるか”と言って、浅野内匠頭が吉良上野介に切り付けた。史料をちゃんと読めば、誰からも誹謗中傷することはないという話だったね」
 大野蛍子「私たちのホームページも段々とクラスで話題になるようになりました」
 湖南あこな「友だちから、”一方的に切り付けたんだから、内匠頭の方がやっぱり悪いと思う”という感想を聞いてきました」
 木村葉月「明快な答えはあるんですか」
 土井瑠「それでは、一方的に内匠頭が悪いのか、喧嘩両成敗なのか、史料を使って、考えてみようね。上の挿絵は、内匠頭を幕府の役人が尋問しているところなんだ」
 蛍子「へー、そういうことのあったんですね」
 土井瑠「幕府の役人が”どうして場所を考えずに上野介さんに切りつけたか”と問うと、内匠頭は、一言の弁解もせず、”お上に対しては少しも恨みはありません。上野介には個人的な恨みがあり、前後も忘れて殺そうと切りつけました。この上はどのような処分でもお受けいたします”と答えたんだ」
 あこな「冷静に対応しているんですね」
 土井瑠「そうだね」
 葉月「幕府の役人は分かっているんですか」
 土井瑠「多門伝八郎という目付なんだ」
 蛍子「この段階では、内匠頭の乱心とは考えられませんね」
 土井瑠「そうだね」

幕府役人の尋問に対しての吉良上野介の答弁
(1)「恨みを受ける覚はない。全ては内匠頭の乱心である」
(2)「老人故で、恨みに覚えなく、申し上げようもありません」
蘇鉄の間で吉良上野介を尋問する幕府役人(挿絵:寺田幸さん
 土井瑠「次に上の挿絵を見ると、何が分かるかな」
 3人はしばらく考えていました。
 蛍子「頭に包帯しているのが、吉良上野介ですね」
 葉月「椅子にすばって威張っているのが、幕府の役人ですね」
 土井瑠「もう一人、既に登場した人物がいるんだが?」
 あこな「よく見ると、上野介の後ろにいる紫色と坊さんは、お医者さんではないですか?」
 土井瑠「そうだね。このお医者さんの名前を覚えてるかな」
 あこな「たしか、栗崎道有?」
 土井瑠「そうそう。このお医者さんの発言が重要なんでよく覚えておくんだよ」
 蛍子「井沢元彦さんのようなアンチ派には出てこない人物でしたな」
この時、幕府の役人は”何の恨みがあって内匠頭から場所を考えずに、切りつけられたの
か。覚があろう。正直に言いなさい”と尋問すると、上野介は”私は何の恨みも受ける覚はありません。全ては内匠頭の乱心である。又私は老人なので、恨みについて全く覚えがなく、申し上げようもありません”と返答したんだ」
 葉月「上野介を尋問した役人は誰なんですか」
 土井瑠「目付の大久保権左衛門という人なんだよ」
 あこな「上野介も冷静に、刃傷は内匠頭の乱心だと反論していますね」
 土井瑠「そうだね」
 蛍子「乱心とはどういうことですか」
 土井瑠「逆上したりして分別をなくしてしまうことなんだよ」
 葉月「何が問題なんですか」
 土井瑠「内蔵助の主張は”遺恨があって逆上してしまった”ということになるんだね。上野介の主張は”私には恨みを覚える理由がないので、勝手に内蔵助が逆上してしまった”ということになるんだね」

吉良上野介の治療をした栗崎道有の記録
(1)「最初は、幕府は、”乱心”として、栗崎道有に治療を命じた」
(2)「今度は、幕府から”喧嘩両成敗により治療する必要がない”と」
吉良上野介を治療する栗崎道有(挿絵:寺田幸さん
 湖南土井瑠「遺恨が重要な争点なのに、残念ながら、遺恨については、何も記録に残ってないんだ」
 3人「それはどうしてですか」
 土井瑠「だれでも不思議に思うだろうね。尋問した目付がそこまで深く追及しなかったのか、追及したが、何らかの理由で、その記録を破棄したか」
 あこな「遺恨がはっきりしないから、今まで、色々と想像して話されているのでしょうか」
 葉月「畳替えや、武士は武士でも赤穂のカツオ武士道だとののしられた、なんて聞いてます」
 蛍子「塩田スパイ説なんかも聞きましたよ」
 土井瑠「それは次回に回して、前にも言ったように吉良上野介を治療した栗崎道有の記録に重要な事が残っているんだ」
 3人「よかったー!!。どんなんですかー」

 土井瑠「その史料には、はっきりと、次のように書かれているんだ。さっきは、幕府(大目付仙石伯耆守)より私たちに”吉良上野介を治要せよ”と命じられましたが、今度は”治療する必要は及ばない”と命じられました」
 3人「大切な史料なのに、よく分かりませんが‥‥」
 土井瑠「分からないことを分からないと言えることは、本当は勇気がいることなんだよ。分かったつもりで質問しないのもよくないんだ。『聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥』という諺があるくらいだからね」
 3人「はーい」
 土井瑠「当時の法律では、乱心などによる一方的な罪には、被害者は公費で治療を受けられたんだよ」
 あこな「それで、最初は、幕府は”乱心”として、栗崎道有に治療を命じたということですか」
 土井瑠「まさに、そうだね。しかし、喧嘩ということが分かれば、両成敗の罪となり、被害者の公費による治療も打ち切られるんだよ」
 蛍子「医者の道有が”今度は治療する必要がないと言われた”と書いていることは、幕府が喧嘩両成敗を認めたという証拠になりますね」
 土井瑠「まったく、その通りなんだ。しかし、今なお、浅野内匠頭をドジで、間抜けと思いたい人には、道有の史料は困った存在になるんだね」
 葉月「そういう人は、道有の史料を紹介したくないんですね」
 土井瑠「みんなも、色々な情報が入ってくると思う。その情報はどういう立場の人の情報なのかを知らないと、失敗したり、友だちを失ったりすることになるよ」
 あこな「忠臣蔵を勉強することは、生きることでも大切なことを教えてくれるんですね」
 土井瑠「むしろ、そういう立場で勉強することが大切ということかも知れないよ」
 蛍子「次は遺恨にはどんなことがあったかですね」
 土井瑠「宿題にしておこう」
 葉月「がんばって、調べてきます」

参考資料(『栗崎道有記録』口語訳)
 刃傷事件の最初のうち、@老中は「浅野内匠頭が乱心して、吉良上野介に切りつけた」と解釈し、公傷扱いで上野介を治療しすることになりました。しかし、公家衆の指示した役人(内科の津軽意三、外科の坂本養慶)なので上野介の血も止まらず、元気も弱く見えました。
 そこで道有を呼んで治療するようにという指図が大目付の仙石伯耆守にありました。そこで私が治療している最中のことでした。内匠頭の口上の意図をお聞きになった所、「乱心ではない。何とも堪忍できない*手合せ(言争い)故に、勅使接待という場を穢し、迷惑をおかけたしたことは申し上げようもありません」という訳でした。とても乱心とは見えませんでした。
 他方、吉良上野介に「内匠頭から意旨を受ける覚はあるか」と尋問すると、上野介は「そのような覚はない」と答えました。
 A幕府(大目付仙石伯耆守)は、この両者の尋問聴取から「乱心ではない」ので、「乱気による処置」、すなわち公傷による治療をうち切ると私に伝えてきました。
 Bさっきは、幕府(大目付仙石伯耆守)より私たちに「吉良上野介を治要せよ」と命じられましたが、今度は「治療する必要は及ばない」と命じられました。
 傍らにいた高家衆の1人である畠山上総守は、「しかし、上野介ならびに高家の同役衆は、栗崎道有がやって来て元気も回復し血も止めてくれたことでもあるので、上野介の願いもあり、高家衆も栗崎道有に治療を継続してお願いしたい」と申し出ました。大目付の仙石伯耆守は、「幕府の御典医ではあるが、その旨老中にもお伝えしよう」ということになりました。
 刃傷事件の4時間後(午後3時)、吉良上野介は、本宅に帰って行きました。

史料(『栗崎道有記録』原文)
 「手負初ノ内ハ御老中方ニてハ内匠頭乱心ニて吉良ヲ切ルノ沙汰、依之療治之儀吉良ハ 公家衆へ何角指行ノ役人ナレハ血モ不止元気モヨハク見ル、然ハ道有ヲ呼上ケ療治被 仰付之沙汰ト相聞ヘ、然所ニ其中ケ場ヘナリテ内匠口上之趣ヲ御聞被成候所ニ、乱心ニアラス即座ニ何トモカンニンノ不成仕合故 御座席ヲ穢カシ無調法ノ段可申上様無之ノ訳ケニテ中々乱気ニ見ヘス、扨吉良へ御尋有之ハ兼而意旨覚有之カトノ事、吉良ハ曽而意旨覚無之トノ事ナリ、依之テ乱気ノ沙汰ニ不及ニ付」(中略)

 先刻ハ公儀より我等へ吉良療治被仰付之沙汰ニ有之処ニ、只今ハ療治被仰付之沙汰ニハ不及之由、併上野介并ニ同役衆幸道有罷出元気ヲモツヨメ血モ止メ置タル事ナレハ、病人ノ願同役中道有外治ニモ被致度トノ事ニ候ハゝ其段御老中へも可申上候

 其刻限早八半過七前ニ…吉良ノ本宅へ罷帰ル(後略)」

老中の喧嘩両成敗を将軍が片落ち裁定(第一の事件)→討ち入り(第二事件)へ

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