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北U曲輪・南V曲輪
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南U曲輪━発掘調査の概要
 南U曲輪は、標高301.05mの感状山山頂より南に伸びるやせ尾根上にある。
 山頂のI曲輪の北西には、5段の削平地からなる北曲輪群があり、南にはU曲輪が尾根上に伸び、急斜面を5段の郭に削平し石垣で支える南曲輪群に続く。U曲輪は北U曲輪と南U曲輪に分けられる。その境は、約30cm〜40cmの石垣で区画され南U曲輪が1段高くなっている。I曲輪と南U曲輪との比高差は約4.21mある。また、南U曲輪と南曲輪群第5郭との比高差は約23.5mである。
 南U曲輪は、東西約16m、南北約35mを測り、全体は石垣によって支えられ、やせ尾根上を最大限に利用している。東側は急斜面のため石垣は崩壊しているが、斜面の所々にその痕跡を残している。西側は約2mの切岸を石垣で支え、その下に幅約3.5mの帯曲輪が北U曲輪をへて北曲輪群へと続いている。
 敷地の北半部いっぱいに南北9間(京間)、東西6間半小間中とする大規模な建物である。
北U曲輪━石垣の現状
 この曲輪は、東西15.0m、南北44.0mの敷地の一区画から成る。南北に細長く、西側は幅1間半の城道が、U曲輪の横を一直線に北上し、T曲輪の石階まで達している。この城道の西の切岸に石垣はない。
 この曲輪の西側は、高さ1.2mの石垣が築かれ、中央部分に旧の石階の痕があり、石垣がオリジナルな形で残っているところが部分的にある。束の切岸は、高さ1.3mの石垣が連続する。幅40〜50cm、成25cm内外の石が用いられている。間詰石を用いない野面石積みである。石垣は南下し、次第に低くなって途中で失くなる。この石垣の東斜面にも土留の石垣がある。この斜面には、所々岩盤が露出している。岩盤のない部分を補強するため築いたものである。南U曲輪との境に石垣はなく、土壇状になり、西寄り上り口があったと思われる。
南U曲輪━石垣の現状
 この曲輪と北U曲輪は、一連の広い削平地である。ほぼ中央で、東西に30cmの段差を設けて区画した南側の曲輪をいう。この曲輪には、大小2棟の建物があったことが確認されている。南に一段下がって張り出した曲輪と、2区画で構成される。
 上段部の西は、北Vと一連の、高さ1.2mの石垣が続き、南は多くが崩壊しているが、天端石の残るところもある。高さは2.5mと高く、長さは12.3m。緩やかに傾斜した岩の上に、比較的小さい石を積む。この部分には虎口があったと思われるが、崩壊がひどく定かでない。東は南からの石垣が若干切岸を北上する程度で、石垣はない。
 南に張り出した曲輪も南北8.0m、東西10.0m、小建築程度は建つ敷地である。この西に門番所跡と思われる礎石が、また門柱のものと思われる礎石も残っている(写真25)。ここが詰口であった可能性が大きい。門の間口は10尺程度で、梁間寸法は5尺4寸位である。礎石が四つ確認できるので、控えのある冠木門(屋根が付けば高麗門)であったことが考えられる。主部を守る重要な虎口であった。この虎口西の切岸は高さ1.2m、長さ16.0mの石垣が積まれ、堅固な防禦を想像させる。
 張り出しの西の石垣は、傾斜した地盤を削平しているため、高さは70cmから2.0mになる。長さは6.4mである。南は高さが2.0m、長さ12.0m、緩やかに傾斜した岩盤の上に積んでいる。東の切岸にある石垣も岩盤の上にあるため、崩壊を免れている。この城跡で、石垣が良く残っているところのひとつである。西に詰口があり、南に高い石垣を積み、この敷地には矢倉があっても不自然ではない。なお、この詰口に至る直前は、城道が折れているが、詰口の下方の部分の城道に岩盤を削った跡がある。縄張り時の困難な工事を想像させる。
U曲輪━破損状況
 全体的に欠失している箇所が多い。しかし、この曲輪は根石部分が残っているので、概ね旧状の把握が安易である。城道との境に部分的(3カ所)に完全な形で残っている。この部分は、他が痕跡をとどめないほど欠落しているのに、当初の工法をそのまま伝えている。不自然な破損の仕方である。この部分は比較的小さい石が用いられていたので、人為的に抜き去られた可能性もあろう。南U曲輪の南下にある張り出しは、南西隅の詰口の辺りが良く残っている。
 角石に大きな石が用いられ、堅固な石積みが幸いしている。番所の痕跡と門柱礎石も良く残る。しかし、城道との境に残る石垣は大きく孕み出し、このままでは直ち崩壊しよう。樹木が伐採されたため、雨水が石垣の裏に流入し、土圧で前面に押し出されたことが考えられる。遺構を永く後世に伝えるためには、樹木と雨水の対策は万全を期したい。

参考資料1:『史跡赤松氏城跡感状山城跡保存管理計画策定報告書』(以下『感状山城報告書』)

出典:『感状山城報告書』

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