現存最古の播州屋台か 江戸期の特徴随所に 相生
天保年間に建造されたとみられる屋台=相生市若狭野町上松
相生市若狭野町、相生若狭野天満神社の氏子、上松地区に保存されている屋台が、江戸・天保年間(1830〜1844年)ごろの建造とみられることが、研究者の調査で分かった。浅い屋根は屋台の原型とされる神輿のようで装飾も簡素。研究者は「これほど古い播州屋台は見たことがない」と話している。
 屋台は戦前、赤穂市の塩屋地区から譲り受けたらしい。5年ごとに秋季例祭で練られていたが、担ぎ手が減り、1985年を最後に出されなくなったという。
 「播州屋台学」を創始した粕谷宗関さん(65)=姫路市飾磨区=が、同地区に使われていない屋台があると聞き、このほど調査に訪れた。
 その結果、紋が、菊紋と神紋(左三つどもえ)の組み合わせ▽屋根下の水切部分が青い▽屋根が浅く、錺金具の数が少ない‐など、江戸期の特徴を各所に確認。また、現代では取り外せる屋根上の露盤が固定されており、擬宝珠には大変珍しい火炎の装飾があった。
 屋根下4面の彫刻「狭間」は、豊臣秀吉と柴田勝家の合戦を描いた「賤ケ岳の七本槍」。江戸時代、豊臣の勝ち戦を扱うのは禁じられていたという。加藤清正ら豊臣方武将を奥に配置するなど、配慮して彫られた様子がうかがえるという。
 粕谷さんは、天保年間の祭礼絵馬や屋台の図面と比較し、同年代と判断した。「華美な装飾が許されなかった時代の姿をとどめており、わたしが約40年調査してきた中でおそらく最古の播州屋台だろう。地区だけでなく、播州全体の宝と言える」。
 上松自治会副会長の川田文規さん(62)は「小さいころから身近にあった屋台の歴史が、江戸時代までさかのぼるとは。これからも大切にしていきたい」と驚いていた。
 一般公開はしていない。
(長谷部崇)
神戸新聞(2010年10月8日付け)

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