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瓜生羅漢石仏
 瓜生羅漢石仏
 天慶4年(941)藤原純友の賊徒三喜公が殺された所だといわれている。
 岩窟は幅7.7メートル、高さ4〜5メートル、奥行約4メートル程で、その中に釈迦如来像を中心に、脇侍として、文珠、普賢の両菩薩及び十六羅漢像が左右に並列している。
 石仏の高さは、いずれも60〜120センチ前後のもので、自然川石をその形に応じ、陽刻した座像である。
 石仏の作者、製作年代は明らかではないが、伝説によると、朝鮮の僧恵便・恵聰一行がこの岩窟に隠棲し、後世の衆生に仏縁を結ばんと作ったといわれている。
 又、弘法大師の作だともいわれている。
 学術的には、この境内は建武年間、赤松氏の居城であった感状山搦手の間道に沿う閑静にして大岩窟であるので、真言宗の山伏が昔の恩讐の強者どもの霊を弔う記念の作で供養仏であるといわれている。
 すなわち今から400年余り昔、室町時代に彫刻されたものと推定している。

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