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矢野庄における百姓たちの逃散
 明徳4年(1393)12月に、矢野庄の百姓たちが、領主である東寺の苛酷な年貢のとり立てに対して不満が高まり、土地を棄てて荘園の外にのがれたり、強訴を行なったりしている事実が多くみられている。
 領主東寺は、これらの行動について自力では如何ともし難かったらしく、ついに播磨国の守護、赤松義則に依頼し、逃亡した百姓の耕地復帰をはかっている。

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