| 矢野庄における土一揆 |
| 百姓たちは、自分の要求を貫徹するために、強訴、逃散の段階から、さらに武力をもって反抗する土一揆の段階へと移ってゆくようになる。 正長2年(1428)1月29日に、名主を中心に守護赤松氏に反抗する土豪の叛乱が、矢野庄にもみられる。この時の目標は「国中之侍悉政之間諸庄園代加」(薩戒記)といって騒ぎ立てたが、ついに赤松氏の武力の前に屈している。この一揆は、政治的なものであったらしく、「天陰風寒、或人日、播磨国土民如旧冬京込蜂起云々」とあり、播磨国の一揆の中心は、東寺領矢野庄であったと書かれている。 |