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相生村との境界論争
寛政10年(1798) 相生村と那波村附州出入につき 下済墨引絵図面の裏書(田中脩治氏蔵)
寛政10年(1798) 相生村と那波村附州出入につき 下済墨引絵図面(田中脩治氏蔵)
 【1】高野村と相生村との境界論争 
 この事件は、寛政9年(1797)に起ったもので、「日の浦」とその背山の「高台山」の草刈りが事件の始まりで相生村が誓約書をとっている。
 
 【2】那波村と相生村の境界論争 
 この事件は、寛政10年(1798)に起ったもので、その中心地は苧谷川の中洲(現在の那波大島付近)をめぐっての土地論争である。 上記の絵図面をみても明らかなように、それぞれの地点に杭を打ち和解している。 
 また、この絵図面裏書の中に「那波村は船専業の村方」で御城米その外御米積出回船が混雑するときは、相生港で繋船してもよい。「相生村は漁業専業」であるから、那波の海面で漁業することもよかろう。万一問題が起きたときは、その筋でよろしく取り計らうようにと書かれている。

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