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宿場の様子
播州有年駅で使用した当時の藩札

播州有年駅で使用した当時の藩札

 宿場の様子について、赤穂藩領内有年宿の様子を古老の回顧録によってかなり具体的に知ることができる。
 宿場の機関は、@本陣A会所及び寄場B旅館方・馬・籠・馬方・人足アルキC守衛人=番太を備えていた。会所(問屋)は本陣の裏側にあり、高い不便な床造りで、村の役人が四、五人詰め、人足の割当・馬籠の配当・宿の割当・賄仕出しの方法 賃金回収及び支払い・突発的事件の調停その他に当っていた。 このほか、上ハタゴヤとして柏屋・瓦屋・新屋・新菊屋・亀屋・池田屋・吹田屋・丸屋・角屋・松下屋等十数軒があり、木賃宿・牛馬宿・茶屋等もあって賑わったという。
 千種川渡舟場の御用は原村(有年牟礼東)が勤め、庄屋が責任者であった。船頭は原村から出し、人数は年によって違うが、7、8人から多い年で30人位が従事し、一般旅行者からの賃金は常水で1、2文、出水は船頭4人で4文、特別大水の時は、8文であった。御用役人様、いわゆる公用旅行者は身分によって旅行の格式が違い、全人足雇は原村及牟礼東村両村の負担であり、その入用銀は、郡内天領24ケ村の共同負担になっていたのである。

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