佐多稲子「素足の娘」より |
昭和初期の旭本町通り(薮谷) |
旭付近を行く馬車 |
春になると入江の町を小さく囲んでいる松ばかり多い山の間にも、ときどき1本まじっている桜が、白い花をのぞかせていた。 相生(おお)から那波の駅の方へ通じる途中の、丁度入江がそこで切れているあたりには、海を埋立てて、そこには職工社宅が建築中で、商店街などもできるところであった。 社宅ができ上るまで職工たちのためには、仮小屋の長屋がまるで村の祭りの見世物小屋のように埋立てた地べたにそのまま屋根を並べてあった。海の片側の山は、ハッパをかけて切り崩されている。藪谷という名ばかりあって家はひとつもなかったそのあたりには、ひとつの町ができ上るところだった。 朝と夕方の時分どきには、菜っぱ服の男たちの列が渡し場への道に固って続いていった。駅から造船所へ通う往来のはげしさ、人力車の列には通弁が先頭に立って、外国人さえまじってゆく。テトテトウとラッパを吹いてゆく馬車の上も人でいっぱいだ。……ああ、下りの汽車が着いたらしい。人力車が通ってゆく。 駅と相生とを往復するのには自動車も2台はあったけれど、それは乗合でなかったので、私たちは人力車か馬車に乗るのであった。私は馬車に乗るのが好きであった。 |