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三濃山求福寺(矢野町三濃山)
三濃山観音寺
 本尊は、千手観世音菩薩で、戊辰の年が即ち61年目に本開帳、31年目の中開帳のある秘仏。この仏、荒仏で南面すると、瀬戸海が荒れるといわれるので、北面している。
 播磨鑑によると、弘法大師が大同年中(806〜9)に一伽藍を建立し真言秘密の法窟としたが、それが三濃山だといわれ後、清和天皇の貞観六年(864)に、秦造内麻呂が河勝の遺跡を尋ね冥福を祈って一寺を建立とあるが、これが当寺の権与である。
 その後、後冷泉天皇の御代、源義家の信仰厚く堂宇を再建し、三濃千坊の大繁昌をみたが、保元・平治の乱によって平氏のため焼失し、漸次衰微して、本堂だけ残り、三濃山観音寺となった。
 奥野坊・三条坊・宝持坊・赤井坊・久保坊・裏門・表門・三重塔の礎石が、又五輪石塔が到る所に残っている。その他、源義家の供養の宝篋印塔、秦河勝の供養という五輪塔があり、いづれも鎌倉時代の造顕とみられる。

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