1681(天和元)年11月3日発行(第017号)
山鹿流兵学とは
大きかった 山鹿流兵学の影響では、全く山鹿流兵学は影響がなかったのかという点を調べてみました。山鹿流兵学とはどんなものか 24歳の時、小幡景憲さんの弟子北条氏直さんから北条流兵学の免許を許された。北条流兵学とは どんか考えか。氏直さんは『士鑑用法』という本の中で「孫子ニ兵ハ詭道ナリトアルヲ、ア(悪)シク心得 テ…」と書いているように、兵法とは武士が平常守るべき法であり、まず自分の心を治め家を斉(ととの) え国を平(たいらか)にすることであると述べている。 ような項目(用士…地形・斥候…行軍…築城…攻城・守城…夜戦…戦法・兵具)について簡潔に書い ている。例えば、四神相応の地形の事については、「東に小河・田沢があって青竜という。南に流水が あって朱雀という。西に道があって白虎という。北に山林があり玄武という」とある。赤穂城は、東に千種 川があって青竜、南に瀬戸内海があって朱雀、西に備前街道があって白虎、北に山崎山より雄鷹台・ 黒鉄山があって玄武となっているので、素行が言う四神相応の地形といえる。 第二に中世的な神儒仏老の四教一致思想を否定し、朱子学を中心とする近世武士道を主張してい ます。 第三に実学つまり社会人としての道の強調、治法の重視しています。これが師である、大目付である 北条氏長さんとの対立点です。 |
参考文献 堀勇雄『山鹿素行』(吉川弘文館の人物叢書) 岩波書店『山鹿素行』(日本思想史体系) 廣山尭道編『播州赤穂の城と町』(雄山閣出版)など 『世界人物逸話大事典』(角川書店) 新人物往来社『図録日本史の人物2000』 |