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1685(貞享2)年9月26日発行(第019号)

忠臣蔵新聞

どうして山鹿素行さんが赤穂に流罪?

赤穂城跡の山鹿素行銅像
赤穂流罪の決定
8歳の大石良雄さん、スーパースターに面会
 45歳の素行さんは北条氏長邸に呼び出され、そこで赤穂配流の命を受けました。9日にはもう江戸を出て、24日には赤穂に着いています。国家老の大石良重(48歳)(大石良雄の大叔父。祖父良欽の弟)は自分の隣屋敷に素行さんを迎える。良重さんは1日2回自ら肴・茶を運んだという。この時、良雄さん(8歳)も同行したという。11月になると、素行さんの奥さんや子供さんが赤穂に着きました。
 翌年の1667(寛文7)年5月に藩主の浅野長直さん(58歳)自身が素行さん宅を訪れています。
参考資料
新人物往来社『図録日本史の人物2000』
堀勇雄『山鹿素行』(吉川弘文館の人物叢書)
岩波書店『山鹿素行』(日本思想史体系)
廣山尭道編『播州赤穂の城と町』(雄山閣出版)など
『世界人物逸話大事典』(角川書店)

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