1652年発行(第022号)
浅野長直さん、赤穂着任の謎
浅野長直さん |
1645(正保2)年 |
赤穂の前の殿さん、奥方を殺害処分! |
既に前回報告したように、今から7年前の1645(正保2)年3月、赤穂城主池田輝興さんが奥さんを殺害するという事件が起こりました。 当時の記録(『徳川実記』)を見ますと、輝興さんは「この15日に突然に発狂して妻(黒田筑前守長政さんの娘さん)を切り殺し、(略)侍女2人をも切て捨たので、3月20日に所領を没収されて長男の政種二男の政成さんとと共に備前岡山の藩主で輝興さんの長兄池田光政さんにあずけられました」 この長兄の光政さんは閑谷学校を作ったりした名君で、おじいさんの輝政さんは姫路城を築いた人として有名な人です。 |
参考資料 八木哲浩監修『赤穂市史第二巻』(赤穂市) 廣山尭道編『播州赤穂の城と町』(雄山閣) 岡田順一『新田の歴史一先人の遺産』 赤穂民俗研究会『赤穂の民俗その六一塩屋編』(赤穂市教育委員会) 廣山尭道編『赤穂塩業史』(赤穂市役所) 松岡秀夫編『ふるさとの思い出写真集一赤穂』(国書刊行会) 赤穂市立歴史博物館編『常設展示図録』(赤穂市立歴史博物館) 太田能寿「浅野長直公転封の動機」(『義士魂』第十九号) |