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1701(元禄14)年3月14日発行(第056号)

忠臣蔵新聞

幕府役人を田村邸に派遣
数時間後、内匠頭さん切腹

平河門(不浄門)から田村邸へのルート 田村屋敷

   幕府の報道担当者の発表
大検使庄田さんと検使御目付伝八郎さんらを派遣


 幕府の報道担当者によると、「すでに田村邸には大目付庄田さんが行って内匠頭さんに
切腹を申し渡し、その検使役に目付の多門さんらを派遣した」ということです。

史料原文

 (略)依之田村右京大夫宅江下総守罷越内匠江申渡之、則於彼宅令切腹為検使御目付
多門伝八郎・大久保権左衛門罷越(略)
出典
「徳川幕府御日記」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

 田村家の長岡さんが重大証言 
  数時間後には内匠頭さんは切腹だった!

 田村家の長岡さんに再び登場ねがおう。午後4時頃、大目付の庄田さんや目付の多門さ
んらが来られ、私らにも話があるというので居間にお通しした。そこで庄田さんが「内匠頭さ
んは場所や時間を考えず、不届至極なので切腹と決まった。このことについては田村さん
にも伝えよとの老中土屋さんの命令である」 と言った。
 長岡さんの思いの中には、少し前には当分預けるという決定が1時間後には切腹という重
大な変更になっていることへのわだかまりが感じ取れる。一体この1時間の間に何があった
のか。今の所は分からない。現地からのリポートでした。

史料原文

 (略)七時少し前(大目付)庄田下総守・(目付)大久保権左衛門(忠鎮)・多門伝八郎(重
共)被参我等江も御用有之由被申候付居間江通申候、内匠事所柄時節旁以不届至極成
儀共故切腹被 仰付候
間、此段右京江も為申聞候様ニと相模守殿(老中土屋政直)被仰
由下総守被申候
出典
「一関藩家中長岡七郎兵衛記録」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

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