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1701(元禄14)年3月14日発行(第057号)

忠臣蔵新聞

副使の多門伝八郎さん
庭前切腹について抗議

切腹の場所となった田村邸の庭(映画の場面より)

伝八郎さんが激怒して報道陣に内幕を暴露
右京太夫さんに庭前切腹について抗議

 大目付の庄田さんが「内匠頭をそなたに預けた上で切腹させよとの命令がだされたので、
その用意をして頂きたい」と伝えた。
 多門さんらはそれに対し「切腹の場所をまず検分したい」と言うと、庄田さんは「さっき絵図
面で私が見て済んだことである。あなた方の検分は必要ない」と向きになって答える。
 多門さんが再度「とはいえ、私たちは副使なので、あなただけの検使でもない」と言うと、庄
田さんは「私が承知した上は副使の指図は必要ないが、お役柄の検分なら仕方があるまい」
と答える。
 多門さんらが検分した所が、小書院の庭に涼み台のものをおき、畳を敷き詰めていた。
 多門さんらが右京太夫さんに「内匠頭さんは一城の主、武士道による切腹を命じられたの
である。庭での切腹は納得できない。粗略にししても座敷であるべきだ」と申し入れた。

史料原文

(略)玄関江左(右)京太夫出迎被居候、夫より庄田下総守申渡候ニは、浅野内匠頭其方江
御預之上切腹被 仰付候旨申渡、用意可致候旨申渡、(略)伝八郎・権右(左)衛門両
人申候ニは、右切腹之場所一先見分可致之由申候処、下総守被申候ニは、先刻絵図面
ヲ以拙者一覧いたし殊ニ相済申候ニ付、御手前様方御見分ニ不及候旨被申候処、伝八郎
再応申候ニは(略)乍去副使之役ニ御坐候へは貴所様斗之検使ニも無之(略)、下総守大目
付拙者承届候上は副使不及差図候、乍去御目付之御役柄御差図は出来兼候間御見分は
御勝手次第可被成候(略)伝八郎・権右衛門両人場所致見分候処、小書院之庭ニ涼台之如
く之物ヲ敷詰、白洲之畳を不残敷
(略)、伝八郎・権右衛門両人左京太夫江申聞候は(略)一
城之あるし殊ニ武士道之御仕置被 仰付ニ付、於庭前切腹と申(義)有之間敷、(略)
麁末之御取斗ひニ而も坐敷ニ可致筈ニ候処難心得候(略)
出典
「多門伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
「忠臣蔵」ワイズ出版(『松田完一コレクション』)
凡例
−原史料を抹消した箇所

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