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元禄14年8月22日発行(第074号)

忠臣蔵新聞

大目付庄田さんは
「その職にかなはざる」と免職
反柳沢派の巻き返しか?

お手軽な切腹処置・切腹場所など後味の悪い処分
綱吉の意向を先取りして慣例を無視した柳沢派と、
それに反対し、巻き返しをはかるグループの存在

柳沢吉保さん 多門伝八郎さんの墓

  庄田さんはお役御免、
    梶川さんは加増500石、
       伝八郎さんには何のお咎めもなし

 3月19日、大目付の庄田さんについては幕府のお考えがあり、大目付を罷免されて、寄り合
いとなりました。寄り合いとは旗本で非職の人のことです。
 梶川さんはさる14日に浅野内匠頭さんが吉良上野介さんに刃傷に及んだ時、組み留めたこ
とは殊勝であるとお考えになり、これにより500石加増されました。
 これ以外の人事の変更は何もありませんでした。

史料原文

 同(三)月十九日庄田下総守儀 思召有之御役御免寄合被 仰付、梶川与惣兵衛義は去十
四日浅野内匠頭吉良上野介へ及刃傷候節組留候段神妙ニ被 思召、依之為御加増五百石
被下置候、是又同日被仰渡外は何も御役替等も無之(略)
出典
「多聞伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
凡例
−原史料を抹消した箇所

 多門さんの証言
大筋で証明される

 多門さんの発表が「私が…私が…」という部分が多かったので、一部で情報を操作していたの
ではないかと疑われたこともありましたが、幕府の正式な大目付庄田さんの処分が発表されたこ
とから多門さんの証言は大筋で正しかったことが実証されたことになります。

『徳川実記』の3月19日の条によると、梶川与惣兵衛さんが加増されたという記録がある。
『徳川実記』の8月21日の条によると、大目付の庄田安利さんは「奉職無情とて共に職うばはる」
とある。
『寛政重修緒家譜』の8月21日の条によると、大目付の庄田安利さんは「その職にかなはざるに
より小普請に貶せらる。(略)罷免」とある。小普請とは非役の旗本・御家人のことである。

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