浅野本家から老中にも苦情
庄田さんは「気づかなかった」と答弁
伝八郎さんは「気づいて掛け合ったが無益だっと」と反論
翌16日に登城した所、老中の秋元さんから伝えられた内容は「若年寄衆が出席している所
で尋問がある」というもので、それを同僚が言ってきた。
そこで大目付の庄田さんや目付の多門さんら3人が出かけた。
秋元さんが「さる14日浅野内匠頭が切腹を命じられたとき、田村邸の庭前にて切腹させたの
は粗略なやりかたであると、伊達本家と田村家に掛け合った内容を私(秋元)にも浅野本家か
ら言ってきた。そのことについて、気づいたことはなかったか。そのような粗末な取り扱いもあっ
たならば、取り扱い方もあったであろう。
それがなく、不念に思し召し、お答え次第で差し扣え仰せ付けられる」と尋ねた。
庄田さんが「全く心づかなかった」と応えた。
多門さんらが「そのことについては私たちは気づいたので、何度も掛け合った。大検使の取り
扱い、殊に多門さんはさる14日差し扣えになっていたので、何も知らなかった。そこで、切腹場
所を見分した所、今言ったように庄田さんに掛け合ったが、私たちの申すことについては無益
なような思われた」と応えた。
史料原文
翌十六日登 城いたし候処、秋元但馬守殿被 仰渡候趣若年寄衆列座ニ而御糺之義有之
段御同朋より申来候間、御定口脇ニ而大目付庄田下総守・御目付多門伝八郎・大久保権右
衛門三人可罷出由、則罷出候処但馬守殿御糺ニは、去十四日浅野内匠頭切腹被 仰付候
節田村左(右)京太夫宅於庭前切腹為致候段麁忽之致方之趣松平陸奥守(本家伊達綱村)
并左(右)京太夫江懸合之趣ヲ以但馬守方ニ安芸守(本家浅野綱長)より被申立候、右ニ付
各方大検使・副使之面々不被心付候哉、左程麁末之取斗も有之候ハヽ取斗方も可有之処無
其儀不念ニ被思召被仰渡候ニ付、御答次第差扣可被仰付と被仰渡候、下総守被申候ニは
奉恐入候、全ク心付不申候と御請也、伝八郎・権右衛門両人より御答ニは、其儀私共心付候
故再応懸合申候へ共大検使之取斗、殊ニ伝八郎儀は去ル十四日差扣中故諸向不存故御場
所見分仕候処、右之仕合故下総守へ相答(掛合)候処、私共申立候儀無益之様ニも存候(略) |