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1701年3月29日発行(第090号)

忠臣蔵新聞

赤穂・岡山支局より緊急報告

藩札交換無事終了(岡山藩忍びの報告)
広島本家には借金申し込みキャンセル

岡山城 広島城(浅野本家)
3月24日(岡山支局発)
岡山藩忍びが記者会見
「城内も静穏で、藩札もほぼ終了」と
 瀬野弥一兵衛さん(岡山藩の忍び)が暮れに赤穂より岡山に帰ってきました。瀬野さんは記者会見で「赤穂家中の侍は隠便で、今日の昼赤穂を出るまで変わることもなく、城内家老共も静かに見えました」と語りました。
 藩札交換については
 「町の札場については両替の者もめっきり減ったようだ。銀札を20貫または10貫目も持っている者は六部替えで大分損をしているということだ」と話しました。
史料原文
 今昼赤穂罷立申候迄替ル義無御座、城内家老中共静ニ相見へ申候

3月29日(赤穂支局発)
資金回収順調、意地で
浅野本家に借金申し込みをキャンセル
広島本家の使者太田七郎右衛門さんがが赤穂に到着しました。
 内蔵助さんと大野九郎兵衛さんは連名でこの太田さんに浜方の貸付や未進租税の取立が順調にいったので、「もはや、金子借領つかまつるまじく候」と伝えたといいます。

参考資料━江戸時代の度量衡
1両=6万円
1貫 3.75kg 1000匁 10000分 100000厘
1斤 600g 160匁 16両 64分
1匁 3.75g 10分    
1分 0.375g 10厘 6銖  
1厘 37.5mg       

1両 4分 16朱 銀60匁 銭4貫文
1歩(分)   4朱    
銀1貫 1000匁      
銭1貫 1000匁      
 東国は、基本通貨が小判(1両)や1分金などの金を使っていました。これを金遣いといいます。
 西国は、丁銀や豆板銀などの銀を使っていました。これを銀遣いといいます。
 補助貨幣の銭は、「寛永通宝」で、これは東国・西国両方で使っていました。
 そのため、金と銀を交換する両替商が発達しました。
 それ以外に、藩のみで使える藩札がありました。
 赤穂浅野家断絶を聞いた商人たちは、札座に押しかけました。
 赤穂藩では、6歩(60パーセント)、つまり、10匁の藩札を6匁の銀に両替しました。
 銀1匁=銀3.75gなので、銀10匁は、37.5gになります。
 元禄時代、金1両(小判1枚)=銀60匁なので、10匁は1両の6分の1となります。
 当時の米の値段と換算して、1両=6万円なので、10匁は1万円となります。

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