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1701年3月25日発行(第092号)

忠臣蔵新聞

幕府は浅野一族に厳命

浅野本家に「無事城地明け渡し」を命ず
従兄弟の戸田さん、赤穂に急使派遣

戸田氏定さんの居城岐阜大垣城

大垣藩主 戸田氏
‖━ 氏定
鳥羽藩主 内藤忠政 長女
次女
‖━ 長矩
赤穂藩主 長友
戸田家系図(氏定さんと長矩さんとは従兄弟)

城地受け取りは来月中旬、目付も赤穂へ
赤穂は家臣ばかり、無事引き渡せるように

一族で相談せよ


 幕府の広報担当は「赤穂家臣は存念があり、容易に城地を明け渡さぬだろう」という風聞
を聞いたということで、そこで老中小笠原佐渡守長茂さんは広島本家松平安芸守綱長さん
の留守居を呼び出し、次のような口上書を渡したということです。
 「赤穂の城地は4月中旬すぎに受け取ることになっている。目付衆が赤穂に行くことになっ
ている。
 赤穂の地は家臣ばかりなので、それに先立ちあなたより使者を送り、全てルール通りに滞り
なく引き渡すように申しつけてもらいたい。
 戸田氏定さん(内匠頭さんのいとこ)へも老中の土屋政直さんから命じられているので、氏
定さんともよく相談するように…」

史料原文

    口上之覚
 赤穂城地、来月中旬過請取候由、御目付衆も可被参候彼地家来計之事候間、先達而御
自分よりも使者(広島本家や氏定)にても被差越、諸事作法能、無滞相渡候様ニ御申付可
然候、右之趣各へも申談、戸田采女殿へも従土屋相模守殿被相達候間、采女殿と御申談
尤候、以上
出典
渡辺世祐著『正史赤穂義士』

一族の安泰の為
戸田氏定さん、諭告使派遣

3月25日(大垣支局発)

「目付が来月中旬に赤穂に着
無事明け渡すよう」
老中も言っていると無言の圧力


 戸田氏定さん(大垣藩主で内匠頭のいとこ)は家老戸田権左衛門さん、ならびに杉村十太夫
さんと里見孫太夫さんを開城諭告使として赤穂へ派遣しました。彼らに渡した書状は次の通り
です。
 「先日言ったように、目付衆・受城使が来月の4月中旬過ぎに赤穂に赴かれる。
 『ルール通りに滞りなく城を引き渡すように念を入れよ』と老中の土屋さんから私(戸田氏定)ら
に命令されました。
 内蔵助さんらは老中土屋さんの気持ちを考え、家中の者に静粛にするよう命令せよ。このこと
について使者を派遣する。彼らが口上を伝えるだろう…」

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