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1701(元禄14)年3月29日発行(第093号)

忠臣蔵新聞

上野介さんの生存確認

上野介さん、片落ち裁定を「十分すぎる」と役職辞任
お公家さんも、片落ち裁定を不憫と思っている

大石邸長屋門(丸山利一郎画) 吉良上野介さん(華蔵寺)

3月26日(赤穂支局発)

江戸家老でなく、近国の家中より上野介存生を知る


 家老の大石内蔵助さんの秘書が次の様に語りました。
 「江戸の家老からはついに上野介さんの生存に関する情報を言って来ませんでした。結局赤穂藩
に隣接する藩の家中を通して、赤穂の縁者に言って来たことは、『まだ上野介さんは生きていて、こと
さら浅手のようだ』というものだった。
 それで内蔵助さんや大野九郎兵衛さんが毎日相談しています」
参考
「堀部武庸筆記」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

上野介さん
片落ち裁定を「十分すぎる」と役職辞任
 吉良方も幕府の裁定を「あまりに片落ちの御仕置きにて(私にとっては)十分過ぎる」と考え、上野介
さんは役職(高家筆頭)の辞任を申し出ました。
 また、上野介さんは「倅左兵衛に家督を相違なく下し置かれるようお願い奉る」と申し出ました。
 その結果、幕府はこの申し出を26日に認めました。

3月26日(京都支局発)

お公家さんも
片落ち裁定を不憫と思っている
 

 お公家さんの基長さんは次のようなコメントを発表しました。
 「3月14日上野介さんは死ななかった。内匠頭さんは乱心ということに決まり、その夜切腹という。これ
によって一家が滅亡という。とても不憫である。目的を達せず、その上家臣がみんな流浪する。これ以
上の不憫はない」

引用史料

 「去ル十四日…上野介死去ニ及バズ内匠頭乱心ノ由相極マリ、其夜切腹云々、之ニ依ツテ一家滅
云々。不便々々。所存ヲ達セズ、且ツ家中以下流民、不便ノ至リナリ云々…」
出典
「東園基長卿日記」

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