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元禄14(1701)年4月1日発行(第098号)

忠臣蔵新聞

浅野一族は身を案じて
次々と諭告使を赤穂に派遣

浅野三家が赤穂藩士を説得

4月1日(赤穂支局発)

浅野長澄さん(三次藩主)の口上
「幕府に逆らうな」

 内蔵助さんが派遣した伊藤五右衛門さん(大野九郎兵衛さんの弟)に対する返答使として、
浅野長澄さん(三次藩主)は内田孫右衛門さんを赤穂に派遣しました。宛名は内蔵助さんと九
郎兵衛さんになっています。
 長澄の口上は「内匠頭さんのしたことについて内蔵助さんの考えていることや、九郎兵衛さ
んの思っていることも承知している。しかし『上意之趣無違背騒動無之様』全員命令せよ」とい
うものであった。
史料原文

内匠頭殿仕合に付き…承知せしめ侯、然れ共畢竟上意の趣に違背無く、騒動これ無き様
参考資料
赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』

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