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元禄15(1702)年5月17日発行(第141号)

忠臣蔵新聞

武林さん、大高さんらに激昂
「腰抜け!」と我慢できない悪口

武林さんにののしられ、
目をさます大高さん?

武林唯七さんの短刀と木像(大石神社蔵)

過激bQの武林さん、大高さんが内蔵助さんに
納得したのを知り、悪口雑言を吐く

1702年5月17日
 武林さんと大高さんの過激なやりとりを再現してみました。 
 先日、武林唯七さんと不破数右衛門さんが江戸より上洛して、山科の内蔵助さんと対面しました。その時、内蔵助さんは「評定は一決し、参加した皆も納得した」と説明しました。武林さんは「その席に大高さんも居たか」と問うと、内蔵助さんは「当然だ」と答えました。
 それを聞いた武林さんは「もっての外だ。大高さんらが腰抜けである上は、会って相談しても意味がないので、すぐに赤穂に下りたい」と言うのを不破さんがなだめて一泊しました。
 翌日、武林さんは大高さんと会うなり、「腰ぬけ!!。最初より討ち入りするとは思ってもいなかったが、格好いい言葉を時々言うから、本当かな思っていたが、やはりバケの皮がはがれた」と堪忍できない暴言を吐いたということです。
史料

 「察しの如く只今ばけがあらわれ候などとの事、則座に堪忍仕り難き程の儀に候

大高さんは「私の心は少しも変わってはいない、
しかし内蔵助殿も確かなる覚悟、時節を待つ」
と言うが、武林さんは泪を流し聞き入れず

 大高さんは「内蔵助さんが『待つ時節にも限界がある』と提案する。そこで出席した皆が納得したが、その理由を説明したい」と言ったが、武林さんが涙をこぼしてなかなか大高さんの申し開きを聞き入れませんでした。そこでしかたなく喧嘩状態で別れ、武林さんは江戸に帰っていきました。
史料

 「内蔵助殿手前慥か成る覚悟、畢竟時節も限りこれ有りとの事に候…一決の次第を語り申すべしと申し候共、殊の外立腹、泪をこぼし、中々とかふの聞き入れ御座無く候」)

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