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元禄15(1702)年5月21日発行(第142号)

忠臣蔵新聞

内蔵助さんは2月16日以来
音信不通の安兵衛さんに手紙を書く

大学さんが立てないようでは亡君への不忠である
「私を嘘つきというが、それも仕方がない」

現在の祇園一力亭 大石内蔵助さん
1702年5月21日

来年3月の三回忌がすぎれば下向する
それまでは随分慎重にしていただきたい


 大石内蔵助さんは便りがなくなった堀部安兵衛さん父子と奥田孫左衛門さん父子に書状を送りました。
 「来年3月には私たちは江戸に行くつもりである。長引いては退屈するとは思うが、私が下向して会うまでは慎重にして頂きたい」

大学さんで再興できないようでは
亡君(内匠頭さん)への不忠である

 「大学さんで再興できないようでは、亡君である内匠頭さんへの不忠というべきである」(「木挽町立不申様仕成申候段只今ニ成候テハ帰テ御主君様ヘノ不忠トモ可申哉」)

私のことを嘘つきと言う者がいるが、是非もない

 「私のことを嘘つきのように江戸では批判している者もいると聞いている。それは仕方のないことである。ただ私は赤穂離散以後、次のような覚悟でやってきたつもりだ」

3月までご沙汰がなければ、
それ以上待つという気持ちはない

 「来年3月まで待って沙汰がなければ、それ以降待つという気持ちはない」(「三月迄御沙汰モ無御坐候得ハ其上イツヲ目当ニ相待可申心底毛頭無御坐候」)

先日武林が来たが、心得違いをしている
3月と言っても今少しの事だ

 「先日武林さんが山科に来て『今しかない』と言っていたが、この考えは承知できない。3月といってももう少しのことである」

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