元禄15(1702)年8月13日発行(第152号)
一族は内蔵助さんの江戸下向を阻止
浅野一族への遠慮から
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大石家系図(一族で脱盟した小山源五右衛門さん、進藤源四郎さん、奥野将監さんの名が見える) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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8月6日京都支局発) 大石内蔵助さんは江戸下向を希望していた元赤穂藩の医者寺井玄渓さんに「思いとどまるよう」説得している。これは誰でも同志に入れるのでなく、討ち入り後の生き証人として生きる道を説いたとも考えられる。 内蔵助さんは一族に江戸下向を
一方、内蔵助さんは一族の進藤源四郎さん、小山源五左衛門さん、奥野将監さんらに「時期を見合わすように」と言われ、江戸下向を阻止されます。内蔵助さんは逆に彼等を納得させるため出発を延期しています。 |