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元禄15(1702)年10月1日発行(第167号)

忠臣蔵新聞

内蔵助さん、りくさんに離縁状

理由として田舎へ行く
内蔵助さん自身の一存

大石内蔵助さんの離縁状 大石りくさん顕彰碑(豊岡市)
10月1日(赤穂支局発)

離縁状の内容判明
「田舎で暫く滞在、そのままに出来ない
妻が理由でなく、私の一存」

 大石内蔵助さんは妻の実家である石束源五兵衛さん離縁状を送りました。
 それは次の様な内容です。
 「先日も大体お話ししたように、私が上方にいることが難しくなってきました。
 その上、少し思うこともあり近日中に田舎に行きたいと思っています。そこで暫く滞在するつもりです。
 それで妻のことですが、そのままにしておくことは心苦しくもあり、この度お返し致します。
 あなたや妻が不届というわけではありません。私だけの考えです」(「少々存寄も御座候ニ付近日田舎江可罷越と存候…妻女義…此度致返進申候…拙者一分之存寄御座候」)

田舎とはどこか、一存とは何か

 多分妻のりくさんも、義父の源五兵衛さんもそのことは熟知していたであろう。
 内蔵助さんは7月24日に浅野大学さんが浅野本家にお預けという手紙を受け取りました。
 内蔵助さんは8月5日には神文返しを行い、討ち入り同志を淘汰しました。
 ついで9月には息子の主税さんなど同志を江戸に下向させました。
 内蔵助さんが打った手を見ると、あらゆることを想定して迅速に的確に対処していたことがわかります。
 田舎とはつまり江戸であり、一存とは討ち入りということはいうまでもありません。 

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