home back next

1702(元禄15)年10月7日発行(第169号)

忠臣蔵新聞

内蔵助さんに同行の
早水藤左衛門さんの暇乞い

「忠義の志は孝の道に欠けるが、
父の教えを守り、忠義に殉ずる」

潮田又之丞さん 早水藤左衛門さん
近松勘六さん 菅谷半之丞さん 三村次郎左衛門さん
10月7日(京都支局発)
 大石内蔵助さんは江戸からの書状を一手に引き受けた伏見の本陣大塚屋小右衛門さんにも別れを告げ、潮田又之丞さん・近松勘六さん・早水藤左衛門さん・菅谷半之丞さん・三村次郎左衛門さん、それに若党村井左六さんらを従え山科を発って武蔵国平間村に向かいました。

早水さんの心情は忠義に殉ずる
しかし本音は涙で袂もかわかない


 そのとき早水藤左衛門さんは兄山口弥右衛門さんに暇乞い状を送りました。
 その内容は次の通りです。 
 「亡君の志を継ぎ命を尽くすことを義と考え、外に千万の理由があっても今はともかく江戸に下り有無の存念を極めたい。その上帰ってきて話し合いたい。老父の嘆きをも顧みず、忠義の思いを深めることは孝の道に欠けていようだ(「父の嘆をも不顧而忠義の思を深ク致候段孝之道かけたるに似候」)が、小さい頃より父の教えに従って武を守って来たのだから、その教えに従い今日の道を尽くさなければ、何を志といえるでしょうか。今又この道を実行せず父に対する孝に従ったならば今後何をして生きていったらいいのでしょうか。
 とにかく思うようにならないのが世の習い、生者必滅、逢別離苦、…生きて悪名をさらすか、父母のためには死ぬが義を全うするか。いずれを選ぶべきかお考え下さい。
 ただ、親子の情け、兄弟の親しみ、子や孫のあわれを思うと、何となくうち嘆かるる心より涙が流れて袂(たもと)もかわきません(「親子の情ケ兄弟之親ミ子孫之あわれを思ふに付ては、何となく打なけかるゝ心より 泪袂を干あへす候」)。
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
写真(赤穂大石神社蔵)

index home back next