元禄15(1702)年11月5日(第174号)
内蔵助さんらついに江戸入り
その時、11月5日であった
赤穂浪士が購入した押し込み道具
6人という大量の同志の江戸入り
大石内蔵助さん(44歳) | 潮田又之丞さん(34歳) | 近松勘六さん(33歳) |
早水藤左衛門さん(39歳) | 菅谷半之丞さん(43歳) | 三村次郎左衛門さん(36歳) |
11月5日(東京本社発) |
内蔵助さんらは小山屋に長期宿泊 |
内蔵助さんら6人が江戸に入りました。以前江戸入りの21人をあわせて27人になります。 内蔵助さんは長男主税さんが泊まっている日本橋石町3丁目小山屋弥兵衛さんの裏手の控えの部屋に左内(主税さんの変名)の叔父と称して同居することになりました。 他の人々は親族とか手代・小者と称して泊まることになりました。 |
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小山屋は訴訟宿で長期宿泊が可能 カピタン(オランダ商館長)も宿泊する大宿 |
小山屋は公事宿(訴訟宿)といい、訴訟がうまくいかないと長期滞在する事も出来る宿屋です。 また、オランダのカピタンが宿泊する宿でもあります。 |
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内蔵助さんら、討入りに必要な道具を調達 |
大石内蔵助さんは、江戸に入ると、直ちに、討入りに必要な道具を調達しました。 吉良邸の表門は、打ち破るのではなく、はしごなどを使うなど、「正々堂々」という意志を決めています。 「かすがい」60本は、加勢の多数が寝起きしている長屋の戸を封じるために、用意しています。 鳴り物としては、山鹿流の陣太鼓が有名ですが、ここにはありません。引き揚げ用として「どら」1つが用意されています。 ほかに、「ちゃるめるの小笛」が人数分、用意されています。これは吉良上野介さんを見つけた時の合図用ということです。 |
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参考資料:
「忠臣蔵のことが面白いほどわかる本」(山本博文)