home back next

元禄15(1702)年11月5日発行(第173号)

忠臣蔵新聞

現場を見ぬ指揮官に苛立つ弥兵衛さん

部下に本音を言わせるリーダー、内蔵助さん
最初で最後と本音を言う部下、弥兵衛さん
正しい提案を採用するリーダー、内蔵助さん

これが組織成功のキーワード

堀部弥兵衛さん(76歳)と署名

11月5日東京本社発

討ち入り時期を心配する年配者の代弁者、弥兵衛さん
生活難から脱盟する者の理解者、弥兵衛さん

 内蔵助さんの意見に対して、江戸の長老で急進派の理解者でもある堀部弥兵衛さんが
次のような返事を出しました。弥兵衛さんは自分が年配でもあり、このままでは生きている
間に討ち入りに参加できるのだろうかという不安も持っています。年配者の代弁者でもあり
ます。同時に息子さんの安兵衛さんの友人たちが生活難から次々と脱盟していった者の
理解者でもあります。
 内蔵助さんに対してこれが最初で最後の意見というだけに、内容もかなり辛辣です。


一 吉良が屋敷にいるかどうかについては確かにわからない。11月1日吉良邸の裏門
 脇に居を構えている神崎与五郎に探らせたが、相変わらず変わったことがないという
 こである。

一 もし吉良が居ないときに討ち入って、また次ということは当然出来ない。そうなると吉
 良が利の上に利を得る。そうなると遺骸の上に悪名を受けることになりかねない。

一 上のとおりではあるが、志が深い若手の考えは例え打ち損じても「運は天次第であ
 る。日数が過ぎるとその害も出てくる。飯米も続かなくなっては討ち入りができない。そ
 うなっては無念である」という。これは一理あると。その意に従い運を天次第と決め、近
 々討ち入りすることになっている。その時は何時でも若手と同様討ち入る覚悟である。

一 毎月7日・8日・16日、17日・19日・20日・23日・24日の8日間は公儀に対して何も
 ない日であるから、内々その様に心得てその1日を選らばなければならない。

一 吉良の在宅の有無を聞き届けた上でと思うならば、先年よりただ今までのやり方に
 ついては実に私には承知できない。名利を捨て、各々一心に身を打ち込めば、出来な
 いことではないと思う。これが大切なことである(「名利を打捨各一図身を打込心懸候ハ
 ヽ成間敷とハ不存候
」)。

一 去年よりの色々な方便は「短知愚慮」で尤もと思うところはない。だから倅の安兵衛と
 毎度つぶやいてきたが、私としては年も取っているし、討ち入りの場に身を置くこともな
 いと思っていた。また今まで相談されたこともなかったが、意見と聞きたいということであ
 るので、無用な意見と考えて黙視されることがあっても申し述べたい。

一 先ごろお目にかかったとき、お手前様は討ち入りには時節が至っていないのでよく
 ないということであったが、私は討ち入りが失敗してもその場を退くことは決してないと
 考えている。仰せのまま言わせていただくなら、この場に及んでまだ同志に対して差し
 障りががあるとしても、ここまできたのだから遠慮なさらずに、全てをお話なさるべきで
 す(「究竟之衆中心ニ障り申儀可有御座候へ共、此節至而遠慮可仕儀と更々不存申
 達候事
」)

一 もし吉良の有無を確かに聞き届けたいと決められたのならば、・・・今まで一体何をし
 て居られたのか。吉良の延命策ではないか。あなたの考えがわからない(「心底難斗候」)。
 去年あなたが江戸を立つ前日お暇乞に参り申し上げた私の考えをお忘れでないならば
 ありがたい。同志列座にては不審もあろうが、しばらく返答を差し控えて聞き届けられれ
 ばありがたい。嘲弄されることも顧みず、これが私の最初で最後の意見を申し述べたい
 と思った次第です。
 (「暫ク返答を被差扣被聞届候ハヽ不顧御嘲弄初終愚意を可申演と存候事」) 

弥兵衛さんの意見を見て、
内蔵助さんは江戸に出て、現場の指揮をとる決心をする

参考資料
「掘部金丸覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
写真(大石神社蔵)

index home back next