home back next

元禄15(1702)年12月15日(第236号)

忠臣蔵新聞

負傷の赤穂浪士は12人

吉良家の死者は17人
吉良家の負傷者は28人
吉良家の逃亡者は4人

左中指疵の
吉田忠左衛門
目の上手負の
近松勘六
足を強くくじいた
原惣右衛門
12月15日(東京本社発)
負傷した赤穂浪士は12人
死亡・負傷した吉良家家臣は35人
浪士の氏名 介石記 江赤見聞記 魚躍伝 毛利家記録目 水野家届け
吉田忠左衛門 左中指疵   疵中指に少    
堀部弥兵衛 足少々手負        
近松勘六 目の上手負 数ケ所手負 目の上左右の指少    
木村岡右衛門 左の中指手負   中指に少    
前原伊助 左の目の上手負   目の上に少    
横川勘平 小指少々手負 少し怪我 左の股に少   左股中程四寸計
り左手小指一
ケ所屠に少疵
原惣右衛門   足強くくじく      
神崎与五郎   少し怪我     右之手くぴ左
掌左右の膝頭
間十次郎     手足少   目の上手負い
奥田貞右衛門         右手人指一ケ所
武林唯七       目ノ上小指ニケ所。
打身
 
岡島八十右衛門       小瘡  

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)
『実録忠臣蔵』(神戸新聞総合出版センター)

index home back next