平成20(2008)年3月14日(第273号)
ダイジェスト忠臣蔵(第13巻)
浅野長直の赤穂城築城
その財源─新田開発
空から見た赤穂城 |
元禄15(1702)年12月15日(東京発) |
950石の戸嶋新田村の誕生 |
ここで、時代をさかのぼって、浅野赤穂藩の誕生を検証します。 正保2(1645)年、浅野長直は、城普請の許可を得て、常陸の笠間から赤穂に移ってきました。 浅野長直は、赤穂城を築城する財源として、新田の開発に着手しました。 |
史料の口語訳です。 「新田村は赤穂城主の浅野長直の時代までは、沼と沢地でした。浅野長直は土木工事を起こし、鵜和村戸嶋の土を埋めてこの地を開墾したので、今は新田を指して戸嶋新田と呼んでいます(中略)大津村以南は海面で、海水が干満していたところです」 *解説1:赤穂に着任した翌年の正保3(1646)年、浅野長直は新田工事に着手します。 正保4(1647)年、大津村の帆坂川・湯の内川・権現川の水は、木生谷村を経由して折方村の方へと流れを変える大工事に実施します。千種川からは戸島桝を堰止め、戸島用水路を確保します。 慶安3(1650)年、新たに居村ができました。 承応元(1652)年、大津日吉大社を勧請して山王宮を創建しました。これが現在の日吉神社です。 明暦3(1657)年、新たに五軒家・石ケ崎ができました。 寛文5(1665)年、新たに十五軒家・七軒家ができました。 その結果、田畑総数95町2反2畝1歩(高にして約950石)の新田村が形成されました。 |
史料 |
新田村ハ赤穂城主浅野長直ノ世迄ハ沼澤ノ地ナリシヲ長直土功ヲ起メ鵜和村戸嶋ノ土ヲ以テ之ヲ埋メ以テ之ヲ開キタリ故今二新田ヲ指メ戸嶋新田ト呼ブナリ(中略)大津村以南ハモト海面ニシテ潮水ノ干満ヲナセシナリ(『赤穂郡誌』) |
参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)