平成22(2010)年1月14日(第304号)
忠臣蔵新聞第304号発行!! 400号に向けての第一歩 |
第304号のテーマは 若者と共に考える忠臣蔵講座(2) 武士道とは何か? |
武士道とは具体的にはどんなことですか? キムタクの『武士の一分』に見る武士道 |
映画『武士の一分』とキムタク(木村拓哉氏) |
山田洋次監督『武士の一分』(2006年)の原作は、藤沢周平氏の短編『盲目剣谺返し』(『隠し剣秋風抄』収録)です。 主役に木村拓哉氏を抜擢し、興行収入は40億円以上で、松竹配給映画としての歴代最高記録(当時)を樹立しました。 以下、原作の重要部分を抜粋し、登場人物には映画の俳優を記しました。短編なので、是非、原作を読んでほしいと思います。 |
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(三村新之丞=木村拓哉が)盲目の身になってから1年やそこらである。 そのさとい耳、利く鼻が、妻に以前にはなかったものを嗅ぎつけるのである。 |
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(従姉の以寧=桃井かおり)「波多野(東吾=岡本信人)が、染川町で加世(=檀れい)さんを見かけたというのですよ」 「心あたりがありますか?」 (新之丞)「それは、いつのことですかな?」 (従姉)「6日の夜。波多野はあの晩、城をさがってから同役の方と染川町の茶屋にいったのです」 新之丞は従姉のおしゃべりを半分しか聞いていなかった。6日の夜というのは、寺詣りに行って帰宅が遅れたあの時のことなのだ。暗い怒りが、胸の中に動いた。怒りには、むろん恥辱感がまじっている。 事実は新之丞のわずかなのぞみを無残に砕いた。加世が密会している相手は島村藤弥(=坂東三津五郎)、新之丞の上司とわかったのである。 そのことをたしかめて来たのは、徳平であった。二度加世のあとをつけさせた。 これで加世の不倫は動かなくなったと感じたのである。島村藤弥は名門の家柄で、近習組頭を勤めている。 |
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新之丞が失明したのは、藩主の毒見役を勤めていたときである。藩主右京太夫頼近(=歌澤寅右衛門)は、昼の食事を表の執務部屋でとる習慣だった。そのために近習組からひと月ごとに交替するきまりで、毒見役を差し出していた。 新之丞はある日の毒見で、急に病いを発して倒れたのである。痛みは腹だけでなく胸にまでおよぶ激烈なもので、たちまち高熱を発し、新之丞は意識を失ったまま家まで運ばれた。高い熱は10日ほどつづき、.その熱がおりたときに新之丞は物見る力を失ったのであった。 すなわち奉公のかなわない身になったのである。当然禄を召し上げられるものと覚悟したが、藩から使いが来て、禄(30石)はそのままとめおく、十分に養生するようにという沙汰がくだった。 (加世の話では家名の存続には、次のような背景がありました) 眼医者の草薙崗助はこの眼は助かりますまい、と加世にささやいた。思いあぐねた末に、加世は上司である島村藤弥をたずね、家名の存続を願ったのである。島村は承知した。随分尽力してみょうと確約したあとで、(その)代償に加世(に)もとめたのであった。 |
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新之丞は、、徳平を呼んだ。 「この女子を、ただいま離縁した。すぐに荷をまとめて、この家から立ち去らせろ」 二人が家を出て行く気配を新之丞は黙然と聞いた。 そのときになって加世に帰る家がなかったことに気づいたが、その気遣いを新之丞は強いて押し殺した。 |
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木部采女之助(木部孫八郎の祖父=緒形拳)は門弟四人を選んで木剣を渡すと、自分は竹刀1本をにぎって、四方から一斉に打ちかからせたという。しかしおめき叫んで打ちかかった門弟たちは、一瞬ののちにことごとく采女之助のまわりに倒れていた(秘剣谺返し)。 |
山崎(兵太=赤塚真人)は、木部道場の同門であるだけでなく、勤めも同じ近習組で、もっとも気の合う同僚だった。 毒見役の新之丞が、苦悶して倒れたあとで、藩主の身辺は騒然となった。 だがその後の慎重な調べで、原因は昼飯の汁に使われた笠貝の毒であることが突きとめられた。料理人が不用意に古い貝を使ったためだった。料理人は領外追放の刑をうけ、台所役人も、それぞれに処分をうけて一件はおさまった。 三村新之丞が、高熱からついに失明にいたったことがわかったとき、むろん執政たちの間で、三村家の処置が議論された。屋敷は召し上げ、年20俵ほどの捨扶持をあたえて藩の飼い殺しとすればよかろうと言った者がいたが、大方の意見は新之丞にもっと同情的だった。逆に、新之丞は職分を全うして失明した者だから、褒賞をあたえてしかるべしと主張する者もいたし、もっとも多かったのは、僅かの減石にとどめて、三村の家はそのままという意見だった。 その議論に裁きをくだしたのは、藩主の右京太夫だった。三村の家禄はそのまま、新之丞は生涯治療に精出せ、というのが藩主のくだした裁定だった。 新之丞は慎重に言った。 「どなたかの進言をいれられて、寛大の処置をくだされたということはないのか?」 「ない、ない。それはない」 すると、お頭の島村さまが、家禄の安泰を口要してくれたということもないな・・・」 「何を言うか」 と山崎は言った。「あのご仁が人のために口添えなどするか。貴様の眼が見えなくなったと噂が出たとき、これで三村も物の役に立たん人間になったかと、言っておるのを聞いたぞ」 山崎兵太が帰ったあとも、新之丞ほ凝然と縁に腰かけていた。暑かった空気が、やや冷えて来たのは、日が傾いたらしかった。 - 下司め! |
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「盲人を相手に果し合うのは気がすすまん。しかし立ち合わねば気が済まぬというなら、遠慮はせん。いいな?」 「侮りめさるなと申し上げたはずだ」 暗黒の中に構えた剣のむこうに、かすかに身じろぐものの気配がある。だが間合いはまだ遠かった。 そして突如として、島村は気配を絶った。新之丞の背を戦懐が走り抜けた。 この勝負、負けたか。 そう思った。動くからこそ、小さな羽虫も打ち落とせたが、動かないものは気配を知りようもない。島村は唾棄すべき男だが、一刀流の剣士でもある。盲人の剣に対して、何か工夫があったかも知れなかった。 だが、狼狽はすぐに静まった。勝つことがすべてではなかった。武士の一分が立てばそれでよい。敵はいずれ仕かけて来るだろう。生死は問わず、そのときが勝負だった。 木部道場では、免許を授けるときに、「倶ニ死スルヲ以テ、心ト為ス。勝ハ厥(=其、そ)ノ中ニ在り」と諭し、また「必死スナワチ生クルナリ」と教える。いまがその時だった。 新之丞は、暗黒の中にゆったりと身を沈めた。心を勝負から遠ざけ、生死から離した。 新之丞は暗黒と一体となった。凝然と仔ちつづけた。 その重いものは虚空から降って来た。さながら天が落ちかかって釆たかのようだった。新之丞は一歩しりぞきながら、無意識に虚空を斬っていた。左腕にかすかな痛みを感じると同時に、新之丞は島村の絶叫を聞いた。重いものが地に投げ出された音がつづいた。 徳平は言った。 「それにしても危のうございました。島村さまは馬柵に登られて、鳥のように柵の上にとまっておられましたが、旦那さまはお気づきでないのではなかろうかと、胆も縮む思いでした」 島村は、気配もとどかぬはるかな場所から、宙空を駆けて一撃をふりおろして来たのだ。 -あれが、あるいは谺返しか? 新之丞は、島村を屠ったほとんど無意識の一撃を振り返っていた。剣は気配を探るひまもなく、相手の動きに反応しておのずから動いたようでもある。虚心が生んだ動きとしか思えなかった。 |
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「徳平の手料理にもあきあきした」「台所仕事に馴れた女子をな。ばあさんでよいぞ」 3日ほどして、徳平は女中を連れて来た。ちよという名前で、齢は25、百姓家の寡婦だという話だった。 だが、給仕をしていたちよが、はっと身じろぐ様子をさとると、何も言わずに食事を終えた。 - ふむ、徳平め! その夜、床についてから、新之丞は苦笑した。ちよという名の女が、離縁した加世だということはもうわかっていた。汁の味、おかずの味つけ、飯の炊き上がりのぐあいなどが、ことごとく舌になじんだ味だったのである。 台所からいい匂いが洩れて来る。蕨の香だった。 「去年の蕨もうまかった。食い物はやはりそなたのつくるものに限る」 加世が石になった気配がした。 「どうした?しばらく家を留守にしている間に、舌をなくしたか?」 不意に加世が逃げた。台所の戸が閉まったと思う間もなく、ふりしぼるような泣き声が聞こえた。加世の泣き声は号泣に変わった。 |
()内は筆者が付記 |
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武士は剣道を習い、茶道を嗜む 剣道の道、茶道の道とは何か |
岡崎正宗の名刀 |
キムタクの『武士の一分』で見たように、武士は家を出た時から、死を覚悟する必要がありました。 剣道の道は、禅の心です。主君のため、家のため、名誉のため、いつでも死なねばなりません。未練があれば死ねません。そこで、武士は禅の心、即ち心を無にする修業をします。それが剣の道です。 私も剣道をします。雑念を払って無心になった時は、相手の目しか見えません。面の中の目を見れば、何を考えているかがよく分かります。家での心配、職場での嫌なことがあると、無心になれません。私より実力が下の生徒に負けてしまいます。 剣の道を通じて、心を無にする修業をしているのです。 |
国宝・妙喜庵待庵 |
妙喜庵待庵は、千利休の茶室です。茶席は二畳しかありません。壁は荒壁仕上げで、藁すさが見える粗末な内装です。南東隅のにじり口から入るには、天下人の豊臣秀吉でも、土下座する格好になります。 千利休が大成した茶道は、建物も無、内装も無、人間も無であることを追求しています。 つまり、茶道を通じて、禅の無の心を会得しようとしています。 |
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無の心は良寛さんの心 実践はむつかしい |
子どもと遊ぶ良寛さん |
私には、息子の子2人と娘の子2人、つまり孫が4人います。 時々、我が家へ遊びに来ます。私は色々な仕事をかかえていますので、気分転換に10分程度しか構うことができません。 ある時、妻が孫のために買い物に出かけました。約1時間、孫の面倒を見ることにしました。しかし、することが心にあり、だんだんイライラしてきました。妻はなかなか帰って来ません。 そのイライラ感が頂点に達した時、妻が帰って来ました。本当に解放されたと感じました。 妻は、本当に孫ような心になって、楽しく遊んでいます。彼女も全国菓子博のメインステージでマジックを披露するだけの力をを持っており、精進したい気持ちは私と同じです。しかし、彼女には無心になれる禅の心が備わっているのです。私は、彼女を「相生の良寛さん」だと尊敬しています。 |
心を無にすることは、言うは簡単ですが、実行するは難しい。 武士とは「つらいもの」です。それだからこそ、四民の指導者になれるのです。 |
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貴乃花親方の相撲道は 忠臣蔵の武士道である |
新しい理事に当選した元横綱・貴乃花親方 |
貴乃花親方が新理事に当選したことを知り、忠臣蔵の大石内蔵助を想像したのは私だけでしょうか。 1994(平成6)年、貴乃花関が横綱に推挙されました。過去最多の2万人の観衆の中の横綱推挙伝達式での口上はどのような言葉であったかをご存知の方は多いと思います。「横綱の名を汚さぬよう、不撓不屈の精神で相撲道に不惜身命を貫きます」。 「道」は当然心を無にするということです。「不惜身命」とは体も命も惜しまずです。 |
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2010年1月19日、各新聞を総合しますと、東京都内のホテルで開かれた二所ノ関一門会の会合で挙手による多数決が行われ、一門の離脱を求める親方が多数(27人中16人)を占め、元横綱の貴乃花親方(37)を支持する間垣親方(元横綱2代目若乃花)ら6人の親方が事実上の破門となりました。 その原因は、理事は各一門の利益代表で、一門内で立候補者を調整するのが慣例ですが、改革を推進したいとする貴乃花親方は、一門とは違うグループの代表として立候補を表明していました。6人の理事とは間垣親方、阿武松親方(元関脇益荒雄)、大嶽親方(元関脇貴闘力)、二子山親方(元十両大竜)、貴乃花部屋所属の音羽山親方(元大関貴ノ浪)、常盤山親方(元小結隆三杉)でした。 改革については、記者会見で、貴乃花親方は、「一門という枠組みは当然現存するし、ないがしろにしてはいけないが、私と同世代の40代前後の親方には、(一門という)枠を超えた考えを持った人がいる。(そういう人たちと)協会の今後の発展のために話をしていきたい」と語っています。 5つの一門に所属する理事(評議員)数は▽出羽海3(29)▽二所ノ関2(23)▽立浪2(20)▽時津風2(17)▽高砂1(13)▽貴乃花グループ1(7)となっています。 11人が出馬する見込みの理事選では10票が当選ラインですが、貴乃花親方は3票を上積みできるメドは造反がない限り、評議員の数と理事の数を見る限り、困難です。 |
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二所ノ関一門の立候補者は3人で、放駒親方(元大関魁傑)・二所ノ関親方(元関脇金剛)の現職2人と、鳴戸親方(元横綱隆ノ里、57歳)す。貴乃花親方(37歳)の立候補で、割りを食いそうなのが鳴戸親方です。「鳴戸親方、貴乃花親方の行動に怒り」という見出しを付けている新聞もありました(サンケイスポーツ)。結局、鳴戸親方は立候補しませんでした。 波風立てなくても、しばらく待てば理事にもなれるし、理事長にもなれると忠告した親方もいました。 日本相撲協会の武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は、「ふさわしいのならば、一門内でも多くの人が推薦してくれるのではないか」と苦言を呈し、「改革、改革といったって何をやるわけ?」と話しました。 一門と言う枠くみに固守する現制度に反対する貴乃花親方には、まさに、四面楚歌の状態です。 |
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理事戦の一門別立候補者は次の通りです。 ▽出羽海部屋(武蔵川、北の湖、出羽の海)3(評議員29)▽二所ノ関(放駒、二所ノ関)2(23)▽立浪(大島、友綱)2(20)▽時津風(☆陸奥、☆鏡山)2(17)▽高砂(九重)1(13)▽貴乃花グループ(貴乃花)1(7) 以前の選挙では、投票箱の前に各一門の代表者である立会人が座っており、書き込んだ投票用紙を自分の一門の立会人に見せて一門への忠誠を示す評議員もいました。そういう選挙を提案した親方もいました。 しかし、今回は、記入場所を立会人から5メートルほど離れた位置に設置し、候補者の名前を書き込む方式だった投票用紙も、筆跡による造反者を認定できないよう、印字された立候補者11人の名前に「○印」を書くだけにしました。 |
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2月1日に理事戦が行われました。 ▽出羽海部屋(武蔵川11、北の湖10、出羽の海10)3(評議員29)▽二所ノ関(放駒11、二所ノ関11)2(23)▽立浪(大島8、友綱10)2(20)▽時津風(☆陸奥10、☆鏡山10)2(17)▽高砂(九重10)1(13)▽貴乃花グループ(貴乃花10)1(7) 基礎評20の立浪一門の大島親方が8票で落選し、基礎票7の貴乃花親方が10票で当選しました。 一門の裏切り者、造反者の詮索が始まりました。票を減らした二所ノ関一門から1人、立浪一門から2人の造反者が出たことは素人でも分かります。 2月2日、立浪一門で元幕内光法の安治川親方(36歳)は、「一門の枠にとらわれず元横綱の貴乃花親方に投票した」と記者会見で公表しました。そして「一門という家族の和を乱してしまった」として、日本相撲協会に退職届を提出するという自らの責任も話しました。 |
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こうして見ると、相撲道に精進するには、禅の心である無の精神を身につけ、相撲道を貫徹するにはあらゆる誹謗中傷にも耐え、身命を捨てる覚悟がいることが分かります。 執着しない無の精神であるが故に妥協しない闘いの道にも邁進できることが分かりました。 山鹿素行の時代は、刀で闘いました。今は、言論で闘う時代です。 私も、無の心を追求しながら、言論で闘う道を選んでいます。本当は、人と争うことなく、穏やかな余生を送りたいと思っているのです。「仏の政」を知っている人は、今の「闘う政」を信じないでしょうね。つらいことです。貴乃花親方の心情が察せられます。 |