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1585〜1632年(浅野家の成立)
天正13年(1585)
 浅野長政(妻は秀吉の正妻北政所の妹)は秀吉の五奉行の筆頭となる。

慶長5年(1600)
11月
 関ヶ原の戦いに際して、浅野長政は石田三成を嫌って、長子幸長と共に徳川家康につき武功をたてたので、和歌山36万6500石が与えられる。
 浅野幸長は従四位下紀伊守に任命される。

慶長6年(1601)
 徳川秀忠から浅野長重が従五位下o女正に任命され、下野国芳賀群真岡に領地2万石を与えらる。

慶長8年(1603)
2月12日
 徳川家康、江戸幕府を創設する。

慶長10年(1605)
4月16日
 徳川家康の三男秀忠が家康の隠居後、二代将軍となる。

慶長11年(1606)
2月4日
 隠居した浅野長政に対して、隠居料として5万石が贈られ、真壁領が成立する。

慶長16年(1611)
4月7日
 浅野長政が没する(65歳)。父の長政の隠居料として与えられていた常陸真壁5万石を三男長重が継ぐ。

11月28日
 浅野長重(三男)は父長政からの隠居料・常陸真壁5万石を秀忠から賜わる。

慶長18年(1613)
8月25日
 和歌山城主浅野幸長(38歳。浅野長政の長男)は、子がなくて没する。長政の次男長晟が和歌山を継ぐ。

元和2年(1616)
4月17日
 徳川家康が駿府城で没する(75歳)。

元和5年(1619)
 浅野長晟(浅野長政の次男)は大坂の役(1616年)で将軍徳川秀忠につき武功をたてたので、福島政則改易の後の安芸・備後42万6500石を与えられ、和歌山より移る(浅野本家)。

元和8年(1622)
8月7日
 浅野長重(浅野長政の三男)も大坂の役の功により常陸真壁(5万石)より笠間(5万3000石)に移る。

元和9年(1623)
7月27日
 二代将軍秀忠の嫡子・家光が将軍職を継ぎ、征夷大将軍の命を受けて、三代将軍となる。
 秀忠が大御所となる。

寛永9年(1632)
1月24日
 秀忠、江戸城西の丸にて没する(54歳)

9月3日
 広島城主で浅野本家の浅野長晟(48歳。浅野長政の次男)が没する。

10月10日
 笠間城主浅野長重(浅野長政の三男)が没する。

10月29日
 従五位下浅野長直(長重の子)が常陸笠間5万3000石を継ぐ。

10月

 浅野光晟(長晟の長男)が広島浅野本家(42万石)を継ぐ。 
 浅野光晟は父浅野長晟の遺領の内5万石を庶兄浅野長治に分かち、備後三次を治めさせる(浅野三次家の始祖)。 

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