home back next

1641年〜1648年
寛永18年(1641)
9月2日
 吉良上野介義央が江戸鍛冶橋邸で生まれる。

正保2年(1645)
1月11日
 赤穂城主池田輝興が発狂して妻(黒田長政の娘)を切り殺し、領地を没収される。

6月22日
 浅野内匠頭長直(三男長重の子)が常陸国笠間から赤穂に移る(179カ村5万3500石)。赤穂(加里屋)城を築城したり、塩田の奨励をしたり(赤穂塩)、新田の開発などを手がける。

 移ってきた時の塩田は2922石であったが、晩年は224町5064石、運上は76貫284匁となっている。次の森時代は222町78貫808匁であるから、長直がいかに努力しているかがわかる。

正保3年(1646)
 浅野長直は近藤三郎右衛門正純(1000石。甲州流軍学者尾畑勘兵衛の弟子)を赤穂城の築城奉行に任命する。

慶安元年(1648)
6月17日
 赤穂城築城の許可が下り、浅野長直は赤穂城の築城を開始する。

home back next