| 1675年 |
| 延宝3年(1675) 1月26日 |
| 浅野采女正長友(33歳。内匠頭の父)が江戸にて没する。 |
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| 2月 |
| 吉良上野介(35歳)は長女鶴子を上杉綱勝の養女にして、島津薩摩守綱貴に嫁がせる。 |
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| 3月25日 |
| 浅野采女正長友の死去により、浅野内匠頭(9歳。長友の長男)が赤穂藩主(表高5万3500)を継ぐ (赤穂110ヵ村、加西33ヵ村、加東14ヵ村、佐用5ヵ村の四郡162カ村5万397石6斗5升4合)。 |
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| 4月7日 |
| 浅野内匠頭が初めて4代将軍徳川家綱に御目見得する。 |
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| 4月23日 |
| 浅野内匠頭は阿久利姫(2歳。三次藩主浅野長治の女)との縁組を幕府に願い出る。 |
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| 6月23日 |
| 赤穂に流されていた山鹿素行(52歳)の罪が許される。 |
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| 7月 |
| 山鹿素行が赤穂を発って江戸に着く。 |
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| 7月8日 |
| 幕府は浅野内匠頭と阿久利姫の縁組を許可する。 |
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| 11月23日 |
| 上杉喜平次(13歳。上野介の子)は元服して従四位下に進み、将軍の一字を与えられて上杉弾正 大弼綱憲と改称する。 |