| 1680年〜1681年 |
| 延宝8年(1680) 5月8日 |
| 4代将軍徳川家綱が没する(40歳)。 |
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| 6月26日 |
| 増上寺にて家綱の葬儀が行われる。 |
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| 6月26日 |
| 奏者番志麻国鳥羽城主・内藤和泉守忠勝(浅野長矩の伯父)が丹後国宮津城主・永井信濃守尚長を刃物にて殺害する。 |
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| 6月28日 |
| 内藤忠勝は切腹に処せらる。 |
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| 7月 |
| 徳川綱吉(35歳)に将軍職が宣下され、5代将軍となる。吉良上野介は綱吉に仕える。 |
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| 8月18日 |
| 浅野長矩(14歳)は従五位下に進む。 |
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| 8月21日 |
| 浅野長矩(14歳)は祖父長直と同じ内匠頭に進み、浅野内匠頭長矩となる。 |
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| 8月23日 |
| 三代将軍家光の四男・綱吉が家綱の嗣子として五代将軍となる。 |
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| 8月28日 |
| 浅野内匠頭は祖父の官名を与えられて内匠頭と名のる。 |
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| 9月19日 |
| 吉良上野介(40歳)は左近衛権少将に任ぜられ、宗恒の大刀を与えられる。 |
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| 天和元年(1681) 3月 |
| 浅野内匠頭(15歳)は江戸城神田橋惣御門番を命ぜられる。 |
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| 11月1日 |
| 浅野内匠頭は御屋敷近所御火消を命ぜられる。 |