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1701年3月30日
元禄14年(1701)
3月30日
 収城使脇坂淡路守安照(龍野藩主)が江戸を発って赤穂へ向かう。

 戸田采女正の許可により、奥村忠右衛門は深川の土蔵に保管の金1312両を第二回分配金として赤穂に発送する。

 この頃、美濃国大垣城主・戸田o女正氏定、安芸国広島城朱・浅野安芸守綱長、備後国三次城主・浅野土佐守長澄など浅野家一族の鎮撫使が相次いで赤穂に至る。

3月末頃
 江戸を退去した赤穂藩家臣が赤穂へ帰国しはじめる。

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