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1701年4月1日〜4日
元禄14年(1701)
4月1日
 吉良上野介の生存を確認するため、3月25日に赤穂を出発した田中権右衛門が江戸に到着する。

 備後三次藩を3月28日に出発した浅野土佐守の使者(諭告使)内田孫右衛門が赤穂に到着し、「評定をやめて静かに開城するよう」に大石内蔵助に申し入れる。

4月2日
 受城目付の荒木十左衛門・榊原采女が江戸を発って赤穂へ向かう。その結果、大石の嘆願使と行き違い、大石の計画は失敗する。
 中川甚五兵衛邸にて、藤井又左衛門・糟谷勘左衛門などが、田中権右衛門が江戸について件を話し合う。

4月3日
 戸田采女正氏定は、開城の諭告書を田中権右衛門に授け赤穂にもって帰らせる。

 受城使木下肥後守が江戸を発って赤穂へ向かう。

4月4日
 夜、赤穂を3月29日に出発した多川九左衛門・月岡治右衛門の両嘆願使が江戸に到着する。しかし、受城使の荒木十左衛門・榊原采女は、既に4月2日に江戸を出発していたので、行き違いとなる。

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