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シナリオ忠臣蔵

原惣右衛門らは赤穂浅野家の江戸屋敷を幕府の役人に引き渡しました。
1701年 3月19日
浅野内匠頭の刃傷事件を伝える早かご(早水ら)が赤穂に着くと、息継ぎ井戸で気を静め、塩屋門から大石邸に入り、第一報(刃傷、口頭で藩札交換)を伝えました。
1701年 3月19日
浅野大学から第二報(刃傷、藩札交換、老中からの慎重にとの仰せ渡し)がもたらされた。
1701年 3月19日
原惣右衛門らの第三報(主君の切腹、親類からの騒ぐなという申し渡し)がもたらされた。この段階で
吉良上野介の存否の情報はなかった。
1701年 3月20日
大石内蔵助大野九郎兵衛と相談して、元金の60%という有利な条件で藩札交換を開始した。地
元で内蔵助の人気が今も高い背景はここにもありもあります。
1701年 3月21日
大石内蔵助吉良上野介の存否が分からない段階で、親戚を介して山科の土地を物色しています。
松山城の引取りの体験から、強大な幕府の権力の前には隠居するのが当然とする常識的な判断を
し他のだろうか。
1701年 3月23日
浅野本家の使者が大石内蔵助に「自重するように・・・」という申し入れる。
1701年 3月24日
江戸の堀部安兵衛は「敵の吉良を前にしてのんびりしている奴の気が知れない」といらつく。
1701年 3月27〜3月29日
大石赤穂城大広間で大評定を開く(第一回〜第三回)
10 1701年 3月30日
受城使の龍野藩脇坂淡路守が江戸を出発する。
11 1701年 4月 2日
受城目付の幕府役人が江戸を出発する。
12 1701年 4月 1日
阿久利の実家である三次浅野家から開城に申し入れがある。
13 1701年 4月 6日
浅野内匠頭の母の実家大垣藩戸田家からも開城の申し入れがある。
14 1701年 4月 9日
浅野本家からも開城の申し入れがある。

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