home back next

シナリオ忠臣蔵

1701年 4月11日
赤穂城大広間で第4回大評定が開かれた。大石内蔵助は浅野家再興を条件に開城と決定した。そうすることで、親戚筋の申し入れをも納得させ、家臣をも納得させると唯一の方法と考えたのであろう。
1701年 4月12日
財務担当家老の大野九郎兵衛が夜逃げしたといわれている。差し押さえた九郎兵衛の財産は後に大石内蔵助によって返却されているから、夜逃げには何か理由があるのかも知れない。
1701年 4月14日
大石内蔵助花岳寺大蓮寺高光寺に永代供養として田畠を寄進する。
1701年 4月15日
来穂した堀部安兵衛遠林寺にいた大石内蔵助に「安易に妥協しないように」と申し入れるが、「評定で開城することに決まっている。その後は私に任せよ」と告げられる。
1701年 4月15日
事務手続きを終えた大石内蔵助遠林寺から尾崎村に移る。
1701年 4月16日
受城目付が赤穂に到着する。
1701年 4月19日
大石内蔵助は無事赤穂城を明け渡して、清水門より退く。この時も幕府目付に浅野家の再興を嘆願する。
1701年 4月22日
堀部安兵衛は城明け渡しを無念の思いで見届け、大石内蔵助の言葉を信じて江戸に帰る。
1701年 5月11日
受城目付も大石内蔵助に「浅野家再興を幕府に申し入れる」と約束して、江戸に帰る。
10 大石内蔵助護国寺僧で、徳川綱吉に大きな影響をもつ隆光に浅野家の再興を嘆願する。

home back next