| 1701年4月12日〜4月13日 |
| 元禄14年(1701) 4月12日 |
| 惣家中から井上・戸田の使者に無事引き払いの旨、請書にて出す。 夜、赤穂藩家臣らが赤穂より退去を始める。 大野九郎兵衛父子は夜中赤穂から逃亡する。 |
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| 4月12日〜14日 |
| 泉岳寺に浅野内匠頭の墓碑が完成したので、法要を勤める。 |
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| 4月13日 |
| 赤穂藩家臣の退去がほとんど終わる。 大野九郎兵衛は田中清兵衛に「病気のため尾崎新浜にて静養する」との書状を出す。そこで田中が 尋ねてみると、娘を残してすでにいなかったという。 |