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1701年4月20日〜4月25日
元禄14年(1701)
4月20日
 木下肥後守は片上村(備前)で宿泊する。

 脇坂淡路守安照は、城を検分し、衛兵を城に留め、自らは赤穂城下を発つ。

 その夜、脇坂淡路守安照は、領地龍野へ帰る。

4月21日
 目付荒木十左衛門・榊原采女は町宿から三の丸(内山下)の岡林杢之助・片岡源五右衛門の旧宅に移る。

 木下肥後守は、4月19日に赤穂を出発し、この日、領地足守に帰城する。

4月22日
 堀部安兵衛・奥田孫太夫・高田郡兵衛は開城を見届けてから、赤穂を発って江戸に向かう。彼らは江戸急進派の中心となる。

 藩の近くに駐在した衛兵も退去する。

4月24日
 戸田家臣・荒渡平右衛門、広島浅野家臣・西村文右衛門、江戸の到着し、赤穂開城の旨を老中に届ける。

4月25日
 戸田権左衛門が大垣に帰着する。

 江戸に留められていた赤穂藩家臣の安井彦右衛門・藤井又左衛門・奥村忠右衛門・糟谷勘左衛門・早川が赦免される。

 大石以下は命をかけて残務を続ける。

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