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(1702年12月3日〜12月10日)
元禄15年(1702)
12月3日
 大石内蔵助の家来・瀬尾孫左衛門と足軽・矢野伊助が離脱する。

12月4日
 田中貞四郎は酒色におぼれて、金に窮し脱盟する。

12月5日
 茅野和助は書状(「明6日朝やしきへ切り込み申す筈に御座候」)を書く。

 この日の夜に討ち入り予定だったが、将軍徳川綱吉が側用人・柳沢美濃守吉保邸へ御成りのため、当日の吉良邸の茶会が延期される。さらに市中は警戒態勢だったこともあり、6日早朝の討入りも延期される。

12月7日
 大石内蔵助は大石三平に「10日過ぎに吉良邸の茶会があると外からちらと聞いたので、その情報の確認をしてほしい」と依頼する。

 大高源五は母宛に最後の暇乞状を出す。

12月10日
 大高源五が山田宗匠に「近く上方に戻りたいので、今少し茶の湯を仕上げておきたい。いつお願いできるか」と尋ねると、宗匠は「14日は吉良邸で茶会があるので、15日にいたそう」と答える。そこで、大高源五は14日吉良邸で茶会のあることを確認し、討ち入りを14日と決める。

●確認経路
 大高源五は四方庵山田宗偏から
 大石三平良穀は国学者羽倉斎から
 堀部安兵衛は柳沢家儒臣・細井広沢から

 大高源五が宝井其角と両国橋で会った話はフィクションである。

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